後藤新平の足跡や資料をまとめた展示コーナー
中央図書館の郷土コーナー西側展示スペースで、須賀川医学校(現公立岩瀬病院)で学び明治・大正期に医師・政治家として活躍した後藤新平について紹介パネルを展示している。
後藤新平は現岩手県奥州市出身で、青年期に須賀川医学校で医学を学んだ。彼の才能を見抜き支えた安場保和福島県令の愛知赴任とともに同県へ移り、愛知県医学校の学校長兼院長を務める。
その後は内務省衛生局に入り、病院・衛生に関する業務に従事する。日清戦争帰還兵大規模検疫などにも関わり、南満州鉄道初代総裁を務め頭角を表した。
第2次桂内閣逓信大臣・初代内閣院鉄道総裁を皮切りに内務大臣、外務大臣を務め、東京市長を経て関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として大規模な復興案を示して「大風呂敷」と揶揄されもした。
後藤は生涯を通して人づくりに尽力し、「人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そしてむくいを求めぬよう」、「一に一を加えて億とす これ根気なり」などの名言を遺した。母校である公立岩瀬病院には寄贈した石碑や各種資料が展示されている。
今回の展示コーナーは、須賀川時代の散歩コースやコロナ禍の今だからこそ、再注目される医師・衛生官僚時代の仕事や関係者などについて時系列的に細かく紹介する。
ほかにも貴重な国立公文書デジタルアーカイブより、後藤が診察した「板垣退助岐阜遭難事件診断書」なども合わせて展示している。