名誉市民賞を受けた誠さん(左)と喜久造さん(右)
須賀川市は選ばれるまち須賀川市の実現に向けて市民のシビックプライド醸成などを目的にシティプロモーション事業を展開しているが、郷土の偉人である円谷英二監督と円谷幸吉選手を「二人の円谷」とし、名誉市民に推戴した。名誉市民章授与式が7日、tetteで行われ、橋本克也市長が2人の親族に授与した。
名誉市民は市勢進展などに多大な貢献をした市民を郷土の誇りとして推戴するもので、これまで育英会を立ち上げ奨学金制度を確立した坂本鉄蔵氏を昭和50年に第1号、昭和・平成期の金融家で公正取引委員会委員長、日本住宅公団総裁、国民金融公庫総裁などを務めた沢田悌氏を昭和60年に2人目の名誉市民とした。二人の円谷は3・4人目にあたる。
円谷英二監督(本名圓谷英一)は旧中町に生まれ、空に強いあこがれを抱いた少年期を過ごし、東京神田の電機学校(現東京電機大学)修了後は映画界入りし、様々な特撮映像技術を開発して、映画やテレビの世界に革新をもたらし、今も「特撮の神様」と称される。
初代作をはじめとするゴジラシリーズ、今年でテレビ放映55周年を迎えたウルトラマンシリーズなど今もなお幅広い年代のファンの心を捉えている。
円谷幸吉選手は昭和15年に7人兄弟の末っ子として生まれ、厳格な父の教えの下で「忍耐」を胸に刻み込み、須賀川高校在学時から活躍を見せる。卒業後に陸上自衛隊入隊、自衛隊体育学校第1期生・中央大学経済学部に入学し、陸上競技と勉学に励みながら、数多くの大会で日本・世界記録を塗り替えた。
1964東京五輪の年に初マラソンを経験し、そこから7カ月と1日の戦後最短記録で五輪出場を果たす。男子1万㍍で6位入賞、マラソンで銅メダルを獲得した。
授与式で橋本市長は「7月7日は円谷監督の誕生日『特撮の日』で、円谷選手の東京五輪ゼッケンナンバー『77』にあやかって授与式としました。名誉市民として郷土の偉人を称えるとともに『二人の円谷』顕彰事業を展開し、多くの人に選ばれるまち須賀川市を目指し、市民が郷土に誇りを持つシビックプライド醸成と市認知度向上につなげてまいります」と式辞を述べた。
名誉市民章は円谷監督親族の誠さんと円谷選手実兄の喜久造さんに授与し、来賓の五十嵐伸市議会議長と宗方保県議が祝辞を述べた。
円谷誠さんは「今までウルトラマンやゴジラに会えるまちとして様々な取り組みをしていただきましたが、これからは『特撮のふるさと』としてさらなる発展を期待しています」。円谷喜久造さんは「オリンピックから57年。このような名誉章をいただけて天国の幸吉も感無量でしょう。マラソンを終えて観客席に笑顔で手を振る幸吉の姿が目に浮かびます」と謝辞を述べた。