南門や講堂について説明を受ける学生たち
須賀川市と東北学院大文学部歴史学科佐川正敏教授とゼミ学生5人は2日から国史跡上人壇廃寺跡発掘調査を合同で実施している。5日まで遺構の表現・表示方法を検討するために必要な遺跡西側で確認調査実習を行う。
佐川教授は古代寺院研究の第一人者で、平成28年から同廃寺跡整備委員会委員長を務める。今回は同学部の実習授業の一環として1~4年生が参加した。
市学芸員から発掘調査の心得など基本的なレクチャーを受け、実際に史跡の中を歩いて南門や講堂など、これまでの発掘調査で明らかになった場所の説明を受けた。
今回の実習では東日本大震災で座標にズレが生じた史跡の正確な場所の把握や1辺約80㍍の外壁のうち比較的貧弱な西側部分の調査や規模、状況把握などを行う。
学生たちは前夜降った史跡内に溜まった雨水の排水や、実際の構造把握を目的とした発掘調査などに汗を流した。
今回の調査結果は報告書などにまとめ、今後の整備計画などに役立てられる。
市は昨年3月に史跡の適正な保存と有効整備活用指針として「史跡上人壇廃寺跡保存活用計画」を策定し、将来にわたって保存継承するために主要な価値などの構成要素を明確にし、市民の憩いの場として史跡公園を整備して後世に伝えるための管理運営方法を検討している。
上人壇廃寺跡はJR須賀川駅の北側にある遺跡で、昭和36年の東北本線複線化工事に伴う発掘調査で明らかになった。
8世紀前半に創建され、南門・金堂・講堂が南北方向に一列に並ぶ伽藍(がらん)配置や金堂周辺から六角形の瓦塔(がとう)、区画の遺跡から打ち鳴らす鉦の一種の金鼓(きんこ)、経典の軸止めの経軸端(きょうじくたん)などが出土した。
発掘調査の結果、東北地方における地方寺院として希少な存在であることから昭和43年に国史跡に指定されている。
また須賀川駅前一帯は奈良・平安時代の岩瀬郡役所などが集中しており、陸奥国から石城(いわき)国と石背(いわせ)国が独立したときに、石背国の役所が一時的に置かれた場所でもある。
市は今月から4カ月かけて世界測地系座標による遺構の位置把握とAR・VR映像制作を想定したデータ収集を目的に測量調査をし、具体的な整備計画を策定する。
現在着工中で令和7年供用開始する駅西境発事業に合わせて、「上人壇廃寺跡史跡公園(仮称)」の整備を進めていく。