伝統継承の火の粉を上げて燃え盛る松明
須賀川の晩秋の夜空を焦がし、今年も430余年の伝統継承を主とした「松明あかし」は13日夜、翠ケ丘公園五老山山頂に松明建て(1本のみ)で行われ、真っ赤な火の粉に包まれた松明が赤々と夜空を照らし出した。
松明あかしは戦国時代に須賀川を治めていた二階堂氏を伊達軍が攻め滅ぼした戦で命を落とした犠牲者の慰霊を目的に、地域住民の間で連綿と受け継がれてきた。
コロナ禍前は松明をもりたてる会を中心に、地元企業や中学・高校が当日に向けて本松明を手作りし、山頂では約20本が燃されて市内外から10万人を超える観覧者が会場に詰めかけ、燃え盛る炎と飛び散る火の粉との共演を楽しんでいた。
今年は昨年に引き続き、コロナ感染防止のため会場周辺での密集・密接を避けるため五老山周辺を入場規制し、松明をもりたてる会が約2カ月かけて制作した松明(高さ約7㍍、直径約1㍍)のみの松明建てとした。
山頂には毎年松明制作に参加してきた地元企業や中学・高校ら15団体の法被を展示、松明あかし本番に向けて関係者の注目を集めていた。
松明に点火する御神火は須賀川城跡に建てられた二階堂神社で奉受式の神事を行い、神職と巫女が清めた火が専用のランタンで山頂まで運ばれた。
点火式で実行委員長の橋本克也市長が「先人たちの思いをつなぐ松明あかしを今年も開催することが出来ました。私たちの前に1本だけの松明が今年も立ちました。市民や参加団体の皆さんの思いをくんで、この松明を制作したもりたてる会をはじめ関係機関の皆さんに感謝を申し上げます。私たちが誇る伝統行事を継承できたことをうれしく思います。先人たちは長い歴史の中で幾度の厳しい困難な場面に立ってきたが、そのたびに鎮魂の思いを松明の炎に託して現代まで引き継がれてきました。今日の炎は今を生きる私たちに勇気を与える炎となるものと願っています。この状況が改善し、来年こそは多くの皆さんに私たちが誇る松明あかしをご覧いただけるものと期待しています」とあいさつした。
昨年に引き続き松明制作にあたった松明をもりたてる会の佐藤貴紀会長は「今年も無事に開催できることを感謝しています。これからも須賀川の大きな誇りとなる松明あかしを盛り上げられるよう松明を制作してまいります」と述べた。
もりたてる会の点火役が御神火を担いで松明を上り、先端に火を灯すと関係者からも歓声と拍手が上がり、1本きりではあるが晩秋の須賀川の夜空を赤々と焦がし始めた。
カヤが燃え火の粉が盛んに飛び散り、竹が破裂する甲高い音が周囲に響き、松明あかしの継承を周囲に知らしめていた。
山頂ではウルトラFMの生中継やYouTube生配信用のドローンが飛び交い、tetteでは過去の松明あかしの映像が上映された。
地域おこし協力隊によるオンラインツアー「松明あかしってどんなお祭り?」のZoom配信もあり好評を得ていた。
しめやかに「八幡山衍義」 犠牲者のめい福祈り焼香
激戦の犠牲者を慰霊した八幡山衍義
430余年の歴史を持つ松明あかしの前夜祭「八幡山衍義」は12日夜、八幡町町内会役員ら約10人が参列して八幡山頂の岩瀬八幡神社でしめやかに行われた。
戦国時代に須賀川を治めていた二階堂軍と奥州の覇を狙う伊達軍との激戦地の一つである山頂で、両軍の犠牲者の霊を弔う目的で平成10年から町内会主催行事として受け継いでいる。
コロナ禍前は町内住民らが小松明を手に山頂を目指し、ゆらゆらと揺れる炎が列をつくる独特の光景が見られ、山頂では子どもたちの太鼓披露があった。
コロナ禍のため、昨年と今年は町内会役員のみが参列し、犠牲者の霊を鎮めるため慰霊目的の焼香のみをしめやかに務めた。
時間に合わせて慰霊碑に向けて僧侶が静かに読経し、参列者らは静かに手を合わせて犠牲者のめい福を祈った。