無断で「馬車道新道」看板の設置場所
南北朝時代の山城跡で国史跡「宇津峰」に無断で登山道が造成され、正規の山道との分岐点に「馬車道新道」の立て看板も勝手に設置されていることが分かった。須賀川市は21日、文化財保護法違反(無許可の現状変更)に値するとして、撤去や原状回復を求めている。
宇津峰山は郡山市と須賀川市の境にあり、1931年に国史跡指定された。標高677㍍。市が史跡として管理を担ってきたが、9月頃に関係者から無断で登山道が造成されているとの連絡があり市職員が確認した。
須賀川市側から登る正規の登山道(塩田登山道)は足尾神社方面から山頂を目指すルートで、市民の森管理棟から約60分で到達できる。山頂には「雲水峰城跡」と刻まれた石碑がある。
今回無断整備が確認された「馬車道新道」は、塩田区が管理する道から塩田登山道に続くルートで、市職員によると正規の業者が整備したものでなく手作りの階段や手すりが設置され、雨が降った場合に滑りやすいなどの安全が十分に確保されているとは言えない状況である。
周辺には防犯カメラなどもなく、時期や設置した個人・団体などは現在のところ分かっていない。
市は登山客への注意喚起として、「馬車道登山道」が無断で開削された道であり、危険なため立ち入り禁止とする看板を設置するほか、造成者へ無許可の原状変更は文化財保護法違反になることを警告する看板も設置する。
また地元や宇津峰山関連のイベントに合わせて注意喚起のチラシを配布するなども検討している。
宇津峰は阿武隈山系に属する独立峰で、山頂からは須賀川市をはじめ県南部が一望できる。南朝方の田村氏の勢力下にあり自然の要害として山全体に山城が築かれた。1340年に鎮守府将軍北畠顕信を吉野から迎え入れ、後醍醐天皇の孫三品宮守永永親王を奉じて国府と鎮守府を置き、北朝方の攻撃に備えたが、1353年5月のし烈な攻防戦で落城し、14年間にわたる戦いに幕を下ろした。
今も千人溜や長子城などの地名が残る。千人溜は城跡の西端に近く、高さ1・8㍍内外の土塁で囲まれた18㍍×20㍍四方の曲輪で、中に石の祠がある。
長子城は東側に位置し、空堀の痕跡や階段のように斜面を削った跡も確認されている。