浜尾地区の浜田公園のサクラ あと数年ですべて伐採 日露戦争の戦勝記念樹

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    一部伐採が進む浜田公園のサクラ(ソメイヨシノ)

 令和元年の東日本台風で甚大な被害を受け、阿武隈川流域では防災対策が進められている。河川敷の樹木伐採もその一環であり、須賀川市浜尾の「浜田公園」で100年以上地域住民に親しまれてきたサクラの木もその役目を終えようとしている。
 浜田公園は明治37年から38年の日露戦争の戦勝記念事業として、同40年3月に4463㍍の公園が旧浜田小の校外運動場として寄付された。同43年には学区の浜田・和田から477人がボランティアで整備活動を行った。
 サクラは当時須賀川北町の山崎屋藤兵衛氏から旧浜田村に寄贈された苗木150本を阿武隈川沿岸に植え付けたもので、現在の浜尾遊水地までの区間、河川の両岸に咲き誇るサクラは名所となり、行楽地として多くの人に親しまれることとなった。
 浜尾遊水地の整備などもあり、川沿いのサクラ並木のほとんどは伐採されたが、浜田公園のサクラは残され、市の桜街道マップにも掲載されていた。
 令和元年10月に当地を含む東日本広域を襲った台風の被害は甚大で、浜尾地区も浜尾遊水地西側堤防が決壊し、多くの家屋が床上浸水などの被害を受けた。
 同様の被害を防ぐため、阿武隈川緊急治水対策プロジェクトが進められ、河道掘削や橋梁架け替え、堤防かさ上げなどが広いエリアで行われている。
 浜田公園周辺の樹木はほとんど伐採されたが、公園のサクラは今もエアポケットのように残っている。これは周辺の河川敷が国の管理になっているのに対し、公園は現在も須賀川市の所有であるためである。
 市でもサクラの伐採を進めているが、完了まで数年をかける見込みで、少なくとも今春は花見を楽しむことができる。
 伐採前に地区住民には説明し、十分な理解を得た。一方で、年配者からは「反対運動をすればよかったよ」と残念がる声ももれる。
 旧浜田村で子ども時代を過ごした人たちにとって、浜田公園は小学校の運動会など、様々な行事に使われた思い出の場所だ。
 幹周り2㍍を超えるソメイヨシノの巨木は、そうした人たちの営みを見守ってきた。
 ソメイヨシノは一般に寿命が60年ともいわれているが、公園のものは優に100年を超えている。浜尾地区は阿武隈川の水害に遭う頻度が高い一方、川がもたらす土壌に恵まれ、上質な果樹の産地である。
 公園のソメイヨシノも寄る年波には勝てないか、てんぐ巣病に侵されている木もあるものの、現在も毎年花を咲かすのは、そうした浜尾地区の特性の現れといえるかもしれない。
 間もなく役目を終えるサクラだが、あと数年、住民に春を告げる役割を全うする。