創刊100年式典で記念撮影 100年の歴史を祝い乾杯
江戸時代から連綿と続く須賀川の俳句文化を代表する俳誌「桔槹」創刊100周年記念式典は8日、関係者ら約60人が出席してホテルサンルート須賀川で開かれ、次の100年に向けてさらなる飛躍と隆盛を誓い合った。
記念式典で森川光郎代表は「東日本大震災や新型コロナなど厳しい現状を臨機応変に乗り越え、須賀川の俳句文化をつないでまいりました。私は桔槹で60余年活動していますが、後進の皆さんも育ち、須賀川俳諧を次の100年へ受け継いでもらえるものと信じております」とあいさつした。
来賓の橋本克也市長、俳誌「鹿火屋」主宰の原朝子さんが祝辞を述べ、原さんは桔槹創刊に関わった原石鼎の「日をつゝむ雲に光や牡丹園」句碑が牡丹園に遺されていることなどを紹介した。
柳沼直三牡丹園保勝会理事長が乾杯を発声し、アトラクションでスライドショー「須賀川と俳句そして桔槹」上映と、「桔槹」創刊に尽力した三太郎を題にした「三太郎に捧げる俳句大賞」表彰式も行われた。
須賀川は当地俳諧の祖・相楽等躬を奥の細道で俳聖松尾芭蕉が訪ね7泊8日滞在した地でもあり、その後も石井雨考、市原多代女ら多くの俳人を輩出した。
俳誌「桔槹」を発行する桔槹吟社は、明治39年に結成した乙夜会を母体に、大正11年に創立した。須賀川牡丹園主の柳沼破籠子(本名・源太郎)、古俳諧研究者で県文化功労賞受賞の矢部榾郎(保太郎)、須賀川の旧家で桔槹運営に生涯をささげた道山草太郎のいわゆる「三太郎」が中心となった。
俳誌「鹿火屋」主宰で榾郎の招きで来須した原石鼎の「はねつるべが何時も新しい水を汲み上げるように、常に新しい俳句をめざせ」の教えをもとに、同氏を師と仰いで「桔槹」と命名した。
昭和19年の戦況悪化から出版印刷と紙流通が軍統制下に置かれ、俳句雑誌が一県一誌に統合され、桔槹は同年5月号(通巻260号)で一旦終刊した。草太郎は自ら「桔槹たより」をガリ版印刷発行で続けたが、翌年4月が最後の発行となり、事実上2年半の休刊を余儀なくされた。
休刊後も毎月の句会は続けられ、桔槹句会報としてガリ版印刷もされていた。
昭和23年1月に「桔槹」は再開し、復刊1号はガリ版、2号は円谷印刷所で活版印刷を再開した。昭和30年代は同誌雑詠欄に全国各地から投句があり、地方の俳誌にとどまらない広がりを見せた。
その後、昭和30年から「牡丹俳句大会」を単独主催開催、平成元年には芭蕉来訪300年を記念し牡丹俳句全国大会を成功した。平成22年は桔槹1000号を達成し、「須賀川俳句のつどい」や「夏休みこども俳句教室」など後進育成にも力を入れている。
「三太郎へ捧げる俳句大賞」結果は次の通り。応募は48人96句。
▽大賞=小針喜久子「終生を先生と呼び夏羽織」▽佳作=大河原真青「冬三つ星あれは肩組む三太郎」、同「草創の源なる榾火消すまいぞ」、菅野潤子「三太郎の思ひ百年牡丹咲く」、佐藤秀治「染筆のこゑ聴くばかり白牡丹」、髙橋双葉「この町に三太郎あり春一番」