須賀川市初の関取・高橋関 祖父祥武さんの勧めで相撲の道に

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    撮りためた優太さんの写真を見る祥武さん
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    小橋クリニックを訪問した髙橋関

 大相撲秋場所(9月場所)は10日から両国国技館で開幕し、須賀川市初の関取である新十両の高橋関(24)=本名・高橋優太、仁井田小出身、西十両12枚目=が郷土の期待と応援を一身に受けながら15日間の戦いに挑む。須賀川市、須賀川商工会議所、夢みなみ農業協同組合、岩瀬商工会、長沼商工会、大東商工会、須賀川信用金庫、こぷろ須賀川、須賀川青年会議所、市スポーツ振興協会の10団体は地元が一体となって支援・激励するため、8日午後に市役所で後援会の設立総会を開いた。
 市役所やtetteには十両昇進を祝う懸垂幕が設置されるなど、市内では応援ムードが高まっている。
 高橋関は平成11年5月25日に3人兄妹の2番目として生まれた。「小さい頃から『おじいちゃん子』だった」と自身で語るように祖父の祥武さん(76)に特に懐いた。祥武さんの勧めで幼稚園児の頃に郡山市で行われた子ども相撲大会に出場し、優勝をつかんだ。これをきっかけに元力士の出羽竜が指導する道場に通い、稽古に打ち込むようになった。
 仁井田小時代は全日本小学生相撲優勝大会5年生の部準優勝、わんぱく相撲全国大会ベスト8(小結)など実力は既に全国区に達していた。
 祥武さんは「当時からよく食べる子で、私の食べるものを何でも食べたがった。外食すればラーメンも大人用、食事は朝昼晩のほか、夕飯前に間食とは思えない量を食べていた」と懐かしむ。
 大会での活躍に目をつけた関係者の誘いで、中学校は新潟県糸魚川市の能生中に単身で進学した。母の則子さんは「寮があるとは言え、中学で親元を離れるのは不安があり、行ってほしくないというのが正直な思いでした。でも本人の強い気持ちに折れて、夢の実現を応援することにしました」と胸の内を明かす。
 物静かで、その名の通り優しい印象の高橋関だが、自身の決めたことを力強くやり抜く意志はその頃から既に根付いていた。
 中学時代は国内最大級の少年相撲大会である第5回白鵬杯で準優勝、全国中学校選手権大会でも団体準優勝に貢献した。
 高校も同市内にある海洋高に進学し、全国高校相撲十和田大会では念願の全国優勝を果たした。
 単身の進学に不安だった則子さんだったが、その活躍ぶりや、会うたびに大きく成長していく我が子の姿を前に、不安は徐々に消えていったという。「監督からも『甘えるといけないから』と、こちらからの連絡は控えていましたが、優太からも電話など連絡はなく、寂しいと言われたこともありませんでした。高校や大学の進路、相撲部屋の入門も特に相談はなく『ここに決めた』という報告があるだけで、自分で決めた道を突き進んできた、という感じです」と笑う。
 一方で、母の日や誕生日には「おめでとう」「体に気をつけて」などのメッセージを今もLINEで欠かさずに送ってくるそうで、心配をかけまいとする気遣いや優しい心根がみてとれる。
 実家に戻った際は好物の豚の味噌漬けや唐揚げなど振る舞っていたが、いつの頃からか炒め物や丼もの、スイーツなど作ってくれるようになったという。新潟での学生時代は、高橋関の体や技だけでなく、心の成長も大きく促した。
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 日本体育大の相撲部では主将としてチームを全国制覇に導き、個人としても東日本選手権準優勝など活躍を続けた。
 昨年4月から元横綱・稀勢の里が親方を務める二所ノ関部屋に入門し、5月場所の前相撲を3勝1敗、7月場所で序ノ口優勝、9月場所で序二段優勝、11月場所も三段目として6勝1敗の好成績を収めた。
 幕下に昇進した翌年の1月場所以降も勝ち越しを続け、7月場所で十両の2力士相手に堂々とした立会で勝利をつかみ、十両昇進を決めた。
 これまでの通算成績は計8場所で41勝8敗。右四つを最大の武器に、しっかりと勝ちきる相撲は全国の相撲ファンも期待を寄せている。
 特に7月場所千秋楽の英乃海(十両)戦は、序盤に激しい攻めを受けるも土俵際でしっかりと持ちこたえ、がっぷり四つからの寄り切りで勝利し、稀勢の里親方をして「これぞ相撲という素晴らしい取り組み。あの相撲ができればさらに上まで昇進できる」と言わしめた。
 祥武さんもその1戦をしっかり録画し、出勤前に毎日のように観て元気をもらっているという。
 前相撲からたった8場所での十両昇進は年6場所制となった昭和33年以降、歴代7位のスピード出世。
 幕下までは1場所あたり7戦だったが、これからは15戦フルで取り組むこととなる。
 祥武さんは「おかげで毎日楽しみが生まれ、仕事の励みになっている。毎場所、勝ち越せるよう願っている。できれば初日に応援に行きたい」、則子さんは「何よりもケガに気をつけながら、一つ一つ昇進目指して頑張ってほしい」と語り、「本人も大変なプレッシャーだと思いますが、応援するこちらも毎日ドキドキです」と2人で笑った。
 家族らはオリジナルの名入タオルを手に、秋場所初日に応援に駆けつける。
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 高橋関を親身になって応援するのは家族だけではない。高橋関自身が「いつも世話になっている人」と第一に挙げた、仁井田にある小橋クリニックの小橋主税院長も、幼い頃から見守ってきた一人だ。
 「小さい頃は引っ込み思案で、未就学児の頃に予防注射で泣いてしまったこともありました。小学生の頃には中学生並みの体格になり、中学生の時点で私より体が大きかったですね」と話す。
 かかりつけ医のため、風邪やケガなどあると診療に当たっていたが、その関係は高橋関が新潟に行った中学時代以降も続き、大学時代に日体大相撲部の齋藤一雄監督が「高橋の調子はどうですか」と電話してきたというエピソードからも、長年にわたり頼られてきた様子が伝わる。
 「優太君は里帰りのたびに顔を見せてくれます。そして、とても活躍しているのに一度も自慢したことはありません。負かした相手に手を差し伸べる優しさも持っています。ご家族全員を知っていますが、皆さん礼儀正しく、愛情たっぷりに育てたからこそ今の優太君の人柄があるのだと思います」。
 十両昇進の決め手となった7月場所千秋楽もテレビ越しに見守った。「こんな小さな田舎から、たくさん苦労して勝ち上がってくれて、本当に心が弾けるほどうれしかったです」と感極まった思いを語る。
 同場所を終えて帰省した際も、高橋関はクリニックに足を運び、小橋院長や職員たちとの交流で心を癒やしたという。
 「これからさらに勝ち上がり、いつか横綱になってくれることを楽しみにしています。また、いつか一緒にお酒も飲みたいですが、あまり強くないと聞いているので、そちらは難しいかもしれません」と満面の笑顔で語った。