等躬像の汚れを白布でぬぐう参加者 相楽家菩提寺を参拝する参加者
江戸時代から連綿と続く須賀川俳壇の祖・相楽等躬(1638~1715年)の命日である陰暦11月19日を「等躬忌」として先人たちが句会を開くなどして思いをはせてきた。今年は308回目の命日となり20日に桔槹吟社などの協力を得て栗庭園の等躬像などの清掃や墓参りをした。
風流のはじめ館は俳句をはじめ須賀川の文化活動拠点として開館し、等躬の忌日を開館から各種団体の協力を得て「等躬忌のつどい」を続け、今年で3回目となる。
今年も桔槹吟社、須賀川知る古会、須賀川ふるさとガイドの会、NPO法人チャチャチャ21、本町町内会から市民有志15人が参加した。
当初は17日の実施を予定していたが、悪天候のため20日に順延、当日は冷たく強い西風が吹き抜ける中、本町の軒の栗庭園、同所に建立された芭蕉・曽良・等躬像、はじめ館敷地内の等躬の庭などを掃き清め、像の汚れを白布でぬぐい落した。
清掃後は加治町の相楽家菩提寺である長松院の墓前に参拝し献花して先人を偲んだ。
等躬忌に合わせた俳句会は、桔槹吟社の花筵亭句会が等躬忌を兼題にした句を詠み館内に展示した。
相楽等躬は、須賀川宿で問屋業を営む豪商で当時の須賀川俳壇の中心的人物。陸奥の歌枕に通じ、各地に広い人脈を持ち、遊歴の文人墨客をもてなした。
俳聖松尾芭蕉がおくのほそ道で須賀川に7泊8日したのは、芭蕉が等躬を訪ね、当地方の名所を訪ねるとともに奥州各地の情報を得るためとも云われる。
等躬は芭蕉が宗匠立机(俳諧師が宗匠となること)した際に行われた興行に句を寄せており旧知の中であったこともうかがわれる。
須賀川俳壇の先人たちは俳祖の忌日「等躬忌」を偲ぶため、俳誌「桔槹」創刊に尽力した矢部榾郎は「栗やいて小さきまとゐや等躬忌」(昭和4年)、道山草太郎は「俳諧にこの町古し等躬忌」(大正14年)の句を詠んでいる。