10日で任期満了を迎える橋本克也市長(61)の退任式は9日、市役所で行われ、大会議室に集まった市議や幹部職員らに「今後も様々な困難な必ず起こるだろうが、最善を尽くせば必ず道は拓ける。そう思ってこれからも取り組んでほしい」と思いを託し、4期16年間の公務を終えた。
退任式は約80人が出席し、職員が橋本市長に花束を手渡した。
安藤基寛副市長は「橋本市長の早く的確な判断は、迷う我々に進むべき光を示してくれた。市民の幸せを一番に考える橋本市長のもとで働けたことを感謝しています」、佐藤暸二市議会議長は「ともに困難に立ち向かってきた同志と言える橋本市長が退任することは市にとって大きな損失であり、寂しさを感じるところだが、決断もまた市長らしかった。今後は肩の荷を下ろし、充実した人生を楽しんでほしい」とそれぞれ感謝を述べた。
橋本市長は「晴れ晴れとした気持ちでこの日を迎えるかと想像していたが、任期を終える明日の日付が終わるまで緊張感を持ち、何かあればいつでも市役所に駆けつける覚悟でいる。私は人に恵まれてきた。困難があれば必ず手を貸してくれる人が現れた。職員を含め感謝している。何より16年間務めさせてくれた市民に心から感謝している。変化は進化や成長の推進力であり、新市長のもとでさらなる発展を遂げるよう願っている。ここ数カ月、たくさんの手紙や電話などでねぎらいの言葉などいただき、まちなかで呼び止めてお礼を伝えてくれた市民もいた。多くの人に私の思いを受け止めていただけていることを実感しながら、今日、市役所を去ることができること、これほどありがたいことはない」と万感の思いを述べた。
市役所には職員のほか、関係者たちも見送りに集まり、感謝と労いの声をかけ、握手などする姿が見られた。橋本市長も笑顔で応えながら、復興に向けた奮闘の日々を象徴するシンボルの一つである市庁舎を後にした。
橋本市長は平成20年7月に初当選し、「市民協働のまちづくり」を掲げて東日本大震災や令和元年台風、新型コロナなど次々と襲いかかる前例のない困難に、市民や議員、職員らとともに立ち向かい、乗り越えてきた。
1期目の翌年10月に公約だった「こども医療費助成制度」(小学6年生まで無料化)を開始、市町村合併後の新市建設計画の着実な実施などにも取り組んだ。
公立岩瀬病院は新外来棟や産科婦人科外来診療開始するなど地域医療の中核として整備、テクニカルリサーチガーデンは戦略的な企業誘致によって、企業用地がほぼ完売した。
地域資源を生かした交流人口の拡大を図る「特撮文化」への取り組み、円谷英二ミュージアムや特撮アーカイブセンターの整備など、選ばれるまちづくりへ成果を残した。
懸案であったJR須賀川駅と上人坦廃寺跡を含む駅周辺の再整備にも着手した。
そのほかの主な取り組みは次の通り。
▽乗合タクシー運行開始(平成21年2月)
▽工業製品認定制度創設(22年9月)
▽市内循環バス運行開始(23年5月)
▽震災復興計画策定(同12月)
▽第7次総合計画「まちづくりビジョン」基本計画策定(24年12月)
▽「M78星雲 光の国」と姉妹都市提携(25年5月)
▽防災無線局開設(26年4月)
▽5歳児の保育料・授業料を無償化(29年4月)
▽新庁舎完成・パスポート交付を開始(29年5月)
▽第8次「まちづくりビジョン」基本計画策定(29年12月)
▽市民交流センター開館(31年1月)
▽保育施設などに通う3~5歳児の給食費無償化(令和元年10月)
▽風流のはじめ館開館(2年10月)
▽特撮アーカイブセンター開館(同11月)
▽円谷英二氏・円谷幸吉氏を名誉市民に推戴(3年3月)第9次「まちづくりビジョン」基本計画策定(4年12月)
▽カーボンニュートラル宣言(5年5月)