430余年の歴史を重ねる須賀川晩秋の風物詩「松明あかし」は9日、翠ケ丘公園の五老山山頂をメイン会場に行われ、21本の松明が月が照らす夜空を焦がした。周辺は市内外から訪れた多くの人であふれ、赤々と燃える炎に見とれ、鎮魂の祈りをささげた。
須賀川城が落城に至った合戦で亡くなった武士の弔いとして始まったとされる。今年は市制施行70周年記念事業の一環として行った。
日中は宮先町の須賀川信用金庫本店駐車場に設けたおもてなし広場で戦国鍋や松明スープ、甘酒の振る舞い、農産物などの販売、甲冑武者らとの記念撮影を楽しむ観光客が多く見られた。
須賀川一中の松明行列が始まると沿道に保護者や家族らが押し寄せ、「秀麗」の文字を背負った生徒たちが掛け声とともに歩くと、沿道からも「わっしょい」の声が響いた。
松明をもりたてる会が手掛けた高さ約10㍍、重さ約3㌧の大松明は約130人の市民が力を合わせて担ぎ、五老山を目指した。行く先々で市民から送られる拍手や歓声を力に変え、威勢良く続く行列に祭りはヒートアップしていった。
福島レッドホープスの選手やトレーナーも担ぎ手や松明提灯に加わった。
須賀川城旧本丸にあたる二階堂神社では御神火奉受式と須賀川吟詠同好会の献吟が行われ、岩瀬郡市陸協のランナー18人が松明を点火するための御神火をトーチに灯してまちなかを駆けた。
団体や一般参加の小松明行列が五老山にたどり着く頃には会場一帯は人であふれ返り、燃え上がる炎を今か今かと待っていた。
もりたてる会によって大松明がいよいよ点火されると、奥州須賀川松明太鼓保存会の演奏も会場一帯に鳴り響き、中学生らが本松明のはしごを登る仲間にエールを送り、「完全燃焼」に向け、ノドが枯れるまで声を張り上げ続けた。
商工会議所青年部のおもてなしフードコートや会場周辺に並ぶ屋台も人気を集め、行列ができていた。
合戦の犠牲者を弔う 前夜祭の「八幡山衍義」
松明あかしの前夜祭である「八幡山衍義(えんぎ)」は8日、岩瀬八幡神社で行われ、関係者や地元住民らが430余年前の合戦で亡くなった二階堂・伊達両軍の犠牲者を弔った。
八幡山一帯は戦国時代に須賀川地方を治めていた二階堂氏と、攻め滅ぼした伊達氏との最大の決戦場であり、両軍の鎮魂や松明あかしの背景にある歴史を語り継ぐためにも八幡町町内会が毎年同行事を継続している。
参加者たちはふもとで点火した小松明を手に八幡山山頂の神社を目指し、揺れる炎の行列が山道を照らしていた。
子どもたちの太鼓演奏の後、西倉寺の横山大哲住職が読経し、佐藤富二町内会長や大寺正晃市長、菊地大介観光物産振興協会長をはじめ、参加者らが鎮魂を祈りながら焼香した。
宗方保元県議の号令で献杯し、一同は翌日の松明あかし成功に向け思いを一つにしていた。