県内外から170チームが集う第50回牡丹杯剣道大会は29日、円谷幸吉メモリアルアリーナで行われ、50年間の歴史に幕を下ろす。地元の須賀川剣道連盟少年部では最後にふさわしい活躍を目指し、間近に迫る大会に向け稽古を重ねている。
大会は昭和51年、高校生の大会としてスタートした。設立の中心を担った坂井芳晴須賀川剣道連盟会長は「当時、県南地区の高校剣道部は実力があるにも関わらず、大会で他地区になかなか勝つことができなかった。それで試合経験を増やそうと始めたのがこの大会だった」と振り返る。
昭和55年には小・中学生の各部も加わり、平成初期には200チーム以上が参加する県内でも有数の大会にまで規模が拡大した。
大会をきっかけに成長し、全国で活躍したり、現在は県連盟の幹部を担う人材も輩出したという。
開催が4月ということもあり、中体連やインターハイを目指す剣士たちにとって腕を試す絶好の機会という役割も果たしてきた。
東日本大震災の被災時は開催を中止したが、不自由な環境下で頑張る子どもたちのため交流の機会を大切にしていこうと、翌年から「大震災からの復興」を開催趣旨に加えて復活し、剣士たちに目標と元気を与えた。
その後も令和元年東日本台風で中止を余儀なくされることもあったが、それ以上に新型コロナは大会だけでなく競技全体に大きな影響を及ぼした。稽古の自粛や大会中止、規模縮小が続いたことで、競技人口の減少は全国的な課題となっている。
コロナ禍も落ち着き、5年ぶりに開催した昨年の大会は約1900人の剣士が再び須賀川に集った。小学2年生から剣道を始めた須連少の井上莉愛さん(須二中3年)は初参加となった地元の大規模な大会に目を丸くした。「驚き過ぎて自分の力を出しきれなかったのが悔しいですが、今年はしっかり自分のベストを出して、3位以上を目指します」と稽古に一層の力を入れる。
設立当初の趣旨や震災からの復興を十分に果たしたことも踏まえ、今大会で終了となるが、須連少の関係者らは子どもたちに試合経験を与え続けられるよう、規模を縮小した行事の開催も検討している。
また地域における剣道の普及と発展に対する熱意は変わらず、中学校部活動の地域移行を見据え、子どもたちが剣道を選択できる機会を整えていきたいと意欲を燃やす。