須賀川市公共施設マネジメント素案 「まず現場の実態を知って」 市民から強い反発の声 問われる市の対応


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    俎上にのぼる市博物館

 須賀川市議会議員全員協議会で公共施設マネジメントの素案が示されて1週間が経ち、各施設を利用する市民や関係者からは「お金の問題ではなく、市民としてのプライドの問題であり、絶対に失ってはいけない」「子どもたちの成長を応援するのが行政で、まず現場の実態を知るべきだ」など強い反発の声が上がっている。
 市は様々な社会変化に対応する「効果的かつ効率的な行財政経営」を確立するため、昨年4月に市行財政改革取組方針を策定した。
 今年度から3年間の集中改革プランは早期に財政効果の発現が見込める歳入や歳出の見直しに集中的に取り組むための事項を洗い出し、行財政改革取組方針の具現化につなげる。
 この中で示された公共施設マネジメント素案は公共施設を維持管理コストや築年数、施設カルテの費用対効果などをもとに、「施設規模や機能の適正化を図る」「老朽化から廃止する」など5つの分類に整理し、検討する方向性や取り組み事項を示した。
 全員協議会で意見が特に多かったのは博物館(1970年供用開始)を収蔵機能に特化し、博物館機能を歴史民俗資料館(1995年供用開始)に移転する案で、市民からも反発の声が大きい。
 市内の40代男性は「あり得ない判断で、須賀川の歴史に関わることだ。歴史民俗資料館はそれとして重要であるが、代わりにはなり得ない。どうしてもこの案で進めるなら、市民が一般財団法人を立ち上げてでも市の財産を守る必要がる」と語気を強める。
 別の市民からも「せっかくウルトラマンなどでまちなかに観光客が来るようになったのだから、須賀川の歴史を伝える博物館がまちなかにあるべきだ」、「観光客や移住者などにとって、博物館は須賀川の歴史を知る入り口となる場所であり、まちなかから外すことは考えられない。市ではまちなかの滞在時間を増やしたり周遊性を高める取り組みもしているが、そのための大切なルートの一つを潰すことにもなる」、「保土原館跡であり、県内初の公立博物館でもある須賀川の歴史上大切な施設だ」などの声が聞かれた。
 「文化のまち すかがわ」として、先人が築き上げてきた文化を守り、継承していくためにも、保存と発信を担う博物館の存在は大きい。
 市民や関係者から反応が大きかった施設は、「民間活力の活用を検討のうえ、機能廃止とし、売却を行う。売却できない場合は建物を解体する」とする方向性が示されたものが多かった。
 このうちふれあいセンター(1990年供用開始)は、松明太鼓小若組の練習に使用されたり、秋には松明あかしで大松明の製作場所として活用されるなどしている。
 また市卓球スポーツ少年団の練習拠点であり、幼稚園児から中学生までの子どもたちが技術の向上に励んでいる。練習場所の一角には「全国大会に出場したい」など一人ひとりが書いた目標が並ぶ。
 「ここは子どもたちが頑張るための場所であり、撤去するとはどういうことだ」と関係者は憤る。「松明あかしの準備時期はほかの施設で練習場所を探すが、どこも利用者でいっぱいで困っている。その上、この場所をなくされたら非常に困る。『強くなりたい』と一所懸命な子どもたちの未来を閉ざさないでほしい。まずは実態をその目で見てほしい」と語った。
 市民温泉(1983年供用開始)も同様の方向性が示された。市民からは「老若男女問わず多くの人が利用しているのに」と疑問の声が上がる。「朝から並んでいる人もいる。最近は会議室で頭の体操として麻雀もやるなど工夫もあってにぎわっている。民間が買い取ってくれたら良いが、壊すなんて考えられない」。
 同じ方針だったムシテックワールド(2000年供用開始)は土日になると多くの人が訪れている。少しでも財務状況を好転させようと、今年5月から窓口でのオリジナルグッズ販売を強化した矢先のことだった。
 栃木県から家族で訪れた60代女性は表情を曇らせる。「孫も娘も昆虫が大好きで、なくなってしまったら寂しい。日常で虫と接する機会は減っており、多くの人が何となく虫を嫌い、遠ざけるが、多様性が求められる現代だからこそ、嫌われがちな虫を詳しく知れるこの場所で得られる経験は大切だと思う」と語る。
 年間パスを持つという30代の女性は「プログラムの内容も勉強になるので、できれば続けてほしい。子どもたちが科学に興味を持つきっかけになる」と語る一方で、「平日はガラッとしているので、もったいないとも感じる」と漏らした。
 ほかにも多くの利用者から「残してほしい」「続けてもらいたい」という声が聞かれた。
 保健センター(1986年供用開始)は「建物の用途廃止を検討する」との方向性だった。同施設を拠点とする食生活改善推進員会は、減塩など食を通じた市民の健康寿命延伸に向け様々な活動を展開してきた。
 この方向性を受け、関係者らは「なくなっては困る。維持していきたい」と会合で意見を交わしているという。「tetteにも調理スペースはあるが、十分な広さがなく保健センターのようには使えない。また乳幼児健診もtetteでは車が停められなかったり、ほかの来館者も多いため不安がある」と関係者は語った。
 岩瀬図書館(1985年供用開始)の方向性は「岩瀬コミュニティセンター内に図書コーナーを設け、機能移転する」というものだった。今年5月に40周年を迎えた同施設に思い入れのある市民も少なくない。
 利用者の一人は「子どもが幼い頃にしょっちゅう通っていた。司書の皆さんが様々な工夫で子どもたちを楽しませてくれて、とてもありがたかった。子育ての手助けになっていた」と感謝をにじませる。「子どもが手を離れてからも通っているが、できれば今までの通り残ってほしい。tetteも良い施設だが、岩瀬図書館の代わりにはならない。この空間がとても好きだ」とさみしげに述べた。
 市では関係団体等に丁寧に説明しながら検討を進めるとしているが、各施設ともかけがえのない役割を果たしていた分だけ影響は計り知れない。第9次総合計画で掲げる将来都市像「共につくる 住み続けたいまち すかがわ」の根幹にも関わることであり、市の対応が問われる。