戦後80年・東京の90歳女性 疎開先への再訪果たす 「広報すかがわ」きっかけに


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    80年ぶりに訪れた須賀川で思い出を語る斎藤さん

 須賀川市立博物館が「広報すかがわ」に連載する「ふるさとの遺産―学校の今昔―」がきっかけとなり、戦時中に疎開していた東京都の90歳女性が80年ぶりに須賀川を訪れ、同館職員の案内で思い出の地を巡り、関係者に話を聞きながら記憶を蘇らせる体験をした。
 江戸川区在住の齋藤玉代さん(90)は昭和19年から終戦まで、須賀川市志茂兎内地内(旧長沼町)にかつてあった旅館・満月館に学童疎開していた。
 そうした経験から長沼を第二の故郷のように感じていた齋藤さんは、東日本大震災の被災を新聞記事で見ていたこともあり、満月館周辺をもう一度見たいと願い続けていた。
 「人生最後の旅行」としてこの願いを娘の依田まりさんに相談したが、齋藤さんは満月館の名前を思い出せずにいた。
 依田さんは母の願いを叶えたいと、手がかりとなる須賀川、長沼の地名をもとにインターネットで何度も検索を繰り返し、広報すかがわ令和7年3月号に載った長沼小の記事にたどり着いた。
 記事では荒川区第5日暮里国民学校の子どもたちの疎開先として満月館を紹介しており、齋藤さんに見せたところ当時の記憶を鮮明に蘇らせ、思い出の地が判明したという。
 依田さんから満月館の問い合わせを受けた博物館の職員らは、2人の思いに応えようと施設の元経営者に照合した。また今月12、13の両日に訪れた斎藤さんらを現地で案内し、旧満月館への訪問を手助けした。
 依田さんの尽力や博物館の連載による巡り合わせで80年越しの再訪が叶い、齋藤さんは大満足の様子だった。
 疎開していた頃を振り返り、「満月館から1㌔ほど西にある八の口池に行き、途中で食べた野苺や桑の実が甘くて美味しかった。食事は1日3食出たが、芋粥や沢庵など質素だった。夜、寝ていると見回りに来た寮母さんがこっそりと餅を握らせてくれた。優しさを感じながら餅を味わい、空腹を凌いでいた。授業のほとんどは満月館で行った。雪が降ると下駄では歩けず、裸足で満月館に着いたとき、土と草の上で感じた温かさは今も覚えている」と懐かしんでいた。