震災特別連載 3・11東日本大震災 歩みつづけて vol 12


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藤沼湖決壊それから①

 「ここに藤沼に流される前の私の家があったんですよ」と滝防災公園慰霊碑から西に約20㍍地点の園内を指差す森清道元藤沼湖決壊による被災者の会長。現在は北町地区に新天地を求め、他の被災者とともに移り住んでいる。

 「震災後に我々のために多くの方々が先祖伝来の土地を提供してくれた。近所の皆さんも良くしてくれて本当に感謝している。心穏やかな毎日を過ごせているのは皆さんのおかげです」と話す。

 震災と決壊があった10年前のあの日。森さんは郡山の会社で勤務していた。激しい揺れが収まり、自宅と家族の携帯に連絡をしたがつながらない。会社から帰宅許可が下りたのは午後4時頃だった。車を飛ばして滝地区の自宅へ。近所までくると道路は泥だらけで杉の木が横たわっていた。「何があったのかわかりませんでした」。

 不安を胸に車を降りると住み慣れた我が家も家族の姿も無い。呆然とするも家族を探し歩くと近所の高台の家に避難したと聞き、たどりついたものの妻の姿が無い。避難するよう声がけしてくれた、近所に住む「三ちゃん」を探しに行ったという。簀の子川を下流へ歩くと妻を見つけた。「とにかく安心で泣いて泣いて互いに言葉は無かったです」。

 家族を救ってくれた「三ちゃん」は自宅に戻ったところで流された。中学生で命を落とした林萌子さん(当時2年生)も近所で被害を受けた。今も受け入れがたい事実だ。

 6月に発足した「被災者の会」に参加し、会長として江花川沿岸土地改良区や県・市と交渉にあたり、「あくまでも天災でなく人災との認識を持っていたが、もう一度長沼が一つになるために前に進もう」とダム再建を最終的に受け入れた。

 あす11日には悲願の藤沼湖犠牲者慰霊碑除幕式が行われる。「一つの目標が達成出来たと思う。これからは決壊の記憶をつなぐ活動に力を入れて、将来は被害にあった人、あってない人が一つになる長沼に戻って欲しい」と強く願っている。