藤沼湖決壊それから②
「行方不明のままの添田蒼空君はうちの2番めの子と同い年。なにがなんでも見つけてあげたかった。それだけが悔やまれます」と唇を噛みしめる森俊樹市消防団訓練部長(41)は、震災当時消防団第11分団長沼班班長として連日、他の団員とともに懸命の捜索活動に加わった一人だ。
鏡石町成田地区の現場工事中に被災した。2人の子どもとお腹に3人めを妊娠中の妻が自宅にいたが電話がつながらず、焦る気持ちをなんとか鎮めながら志茂の自宅に到着したのは夕方の4時過ぎだった。
自宅前の簀の子川は堤防を越えんばかりの勢いで濁流が流れ、「これはなんだろう。なにがあったんだ」と混乱しながらも家族の無事を確認し、もう一度鏡石の現場にとんぼ返りした。
藤沼決壊と人が流されたとの情報が寄せられ、その日の夜から捜索命令が分団長から下った。翌日からインフラ復旧と捜索活動を連日連夜続けた。「体力的には疲れ切っていたと思うが、とにかく早く見つけて家族のもとに返す。その使命感で体が動いていた」と振り返る。
簀の子川から江花川まで、団員たちと胴長も履かずにお腹まで川に潜りローラー作戦を展開し、トビを使って川の流れの中や用水路の中まで行方不明者を探した。「地域の方々も捜索に加わってくれた。感謝とともに先輩団員たちと悲しみを抱えながら無我夢中でした」。佐藤茂団長(当時)の指揮のもとで重機を使って倒壊倉庫の解体捜索にもあたった。それでも発見には至らなかった。悔しさは今も忘れられない。
あれから10年。日に日にあのときの風景は無くなっているが、破壊されたふるさとの光景は今も目に焼き付いている。
「もしかしたら、地震発生のときに妻も子どももどうにかなっていたかもしれない。とにかく子どもたちを守ってくれた妻にはどれだけ感謝してもしたりないくらい」と微笑む。続けて「消防団活動を理解してくれて、市民のため、地域のために活動が思う存分できるのは家族の理解があってこそ。心の底から感謝しています」。
ご愛読ありがとうございました
震災10年連載「歩みつづけて」は今回で最終回です。まだまだ伝えきれていないドラマはたくさんありますが、11日発行の震災特集へ引き継ぎます。ご愛読ありがとうございました。
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