火曜コラム(紙面掲載 2021年11月16日)


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まちづくり会社 株式会社こぷろ須賀川

代表取締役 菊地 大介

松明あかしの原点

 先週土曜日の11月13日、日本三大火祭り「松明あかし」が静粛に厳かな中行われました。新型コロナウイルス禍の状況にもあり大松明が一本のみの、松明あかしとなりました。
 残念ながら無観客という状況が2年続きました。露店も無しで五老山も静粛な夜となりました。
 そんな中、私は須賀川のコミュティラジオ「ウルトラFM」にて、無観客ということもあり現地(五老山)からラジオとユーチューブのウルトラFMチャンネルから同時生中継のMCとして出演させていただき、松明が燃える状況を伝えさせていただきました。
 特にユーチューブ生配信は日本各地また世界各国から3000人以上の方がご視聴いただきありがたい限りであります。
 一本だけの松明あかしを中継させてもらい心に思ったことは、約400年の歴史から考えると、この大松明一本での松明あかしが厳かにかつ、松明あかしの原点に戻ったような気持ちになりました。ここで松明あかしの変遷を振り返ってみたいと思います。
 天正17年(1589年)10月21日、戦の直前、大乗院は城内に家臣や町民を集め伊達政宗と戦うことを伝え、大乗院に従うことを決意した家臣たちは一致団結して伊達軍と決戦するとの誓文を書きそれを燃やし灰にして酒に入れて呑み合い誓いを交わし戦いにのぞみました。
 その後、須賀川の町に火が放たれ強く吹き荒ぶ西風により須賀川城は炎に包まれ落城、その後江戸時代に入り須賀川では旧暦の10月10日に、「刈上げ」と呼ばれる秋の収穫祭が行われ、あわせてこの戦いで亡くなった人々を敬うため「炬火」を投げ合う行事が行われていました。
 「松明あかし」の由来は定かでないようですが、この火祭りはその後幾多の変遷を経て、今現在11月の第2土曜日に二階堂家の戦死者のみならず伊達家の戦死者も含めての鎮魂の思いと先人への感謝の気持ちを込めて行われています。
 そういったことから、静粛な一本の大松明が鎮魂そのものに思え、これぞ松明あかしの原点を感じさせてくれました。
 今回の「松明あかし鎮魂の炎」はユーチューブのウルトラFMチャンネルからご視聴できます。是非、400年前にタイムスリップした気分でご視聴していただければ有難いと思います。