火曜コラム(紙面掲載 2022年2月15日)

菊地 大介


日の丸飛行隊

 先日、北京冬季オリンピックで日本男子ジャンプが行われました。小林陵侑選手がノーマルヒルで見事金メダル、ラージヒルでも銀メダルで私達に感動を与えてくれました。そこで今日は今から50年前の日の丸飛行隊を振り返っていきたいと思います。
 NHK北出アナウンサーの絶叫。「飛んだ、決まった!」。1972年2月6日、ちょうど50年前の札幌五輪、スキージャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で笠谷幸生が金メダルを獲得した。金野昭次が銀、青地清二が銅と表彰台を独占した「日の丸飛行隊」に、胸が躍りました。
 初めてジャンプという競技が世の中に知れ渡りしばらく「笠谷ごっこ」がはやったほど、子供たちにも強烈だったそうです。
 それまで、冬季五輪で日本が獲得したメダルは、56年コルティナダンペッツォ大会アルペンスキー男子回転の猪谷千春の銀だけ。金メダルはなかった。だからこそ、ジャンプ陣の表彰台独占は衝撃的でした。
 それから半世紀「日の丸飛行隊」は日本の冬季競技を引っ張ってきました。80年レークプラシッド大会で八木弘和が獲得した銀は、札幌大会以来のメダル。20年ぶりに金メダルに輝いた92年アルベールビル大会のノルディック複合団体も、ベースはジャンプ力。伝統は、複合でも生きていました。
 98年長野五輪では、前回大会銀メダルからの逆転優勝。原田雅彦が「ふなき~」と声を振り絞ったのが印象的でした。ラージヒルでは船木和喜が金、原田が銅メダルを獲得。札幌に続く地元大会でも、ジャンプは「主役」でした。
 その後もレジェンド葛西紀明らがジャンプ陣を引っ張りました。2014年ソチ五輪では団体で銅メダル。4大会ぶりの表彰台に上がった。同大会から行われている女子でも、18年平昌大会で高梨沙羅が女子ジャンプで初のメダルを獲得しました。
 日本人が冬季五輪を知った大きなきっかけが札幌の青空にひるがえった日の丸3旗だったのは間違いありません。表彰台独占は難しいかもしれないが、50年前と同じ感動を与えてくれた日本ジャンプチームに感謝をしたいと思います。

まちづくり会社 株式会社こぷろ須賀川 代表取締役

菊地 大介