火曜コラム(紙面掲載 2021年6月22日)

高橋 亜純


本を継ぐひとたち

 「人はなぜ書物を求めるのか」という本を愛する人たちの豊かな世界のお話です。休日、福島では1週間しか上映しない映画「ブックセラーズ」を観に行きました。「本屋さんたち」というタイトルの映画ですが、書店主だけでなく図書館や美術館の人たち、ブックハンターや伝説の人物といった本を取り巻くつわものたちが次々と登場するドキュメンタリーです。舞台はアメリカ、ニューヨークの街角。いまをときめくベストセラー本ではなく、時が経つにつれ価値が出てくる希少本の世界最大規模の書籍市です。
 美意識、センス、洒落、些細なことに拘って生きて、自分の人生を楽しむ。本だろうが、美術だろうが、何かを集め、守ろうとするのはそれが「好きだから」。たとえそれが他人から見れば身勝手なえこひいきみたいなものでも。モノに対する愛がとんでもなく深くて、兎にも角にもみんな幸せそうです。
 学生のころ、本屋でアルバイトをしていました。街の小さな本屋。古典文学から純文学、アナグロなものまで扱っていました。店の一角には古本が雑然と積まれ、買い手がそこから、何となく漁っていると、思いがけなく「予測できないもの」に出合える空間でした。
 近くにはマイナーな作品を上映する映画館があり、ふらっと本屋に立ち寄る客層もまちまち。たしか「ニュー・シネマ・パラダイス」「バッグダット・カフェ」とか、「2001年宇宙の旅」などが上映されていた気がします。本の注文が入り、入荷されたら、どんな人が来るのだろうと勝手に想像したりして。
 思い入れのある本が売れてしまうと、同じ感覚の人がいると嬉しい反面、少し寂しくあったりもしたのです。
 「おくのほそ道」を読んだのは30歳の時。その実、仕事に縁がなければ手に取らなかったかもしれません。しかも新刊ではなく岩波文庫から出版された書籍の古本。雑貨店のレジ横にみかん箱程度の段ボールに本やら絵葉書が収まって、その中の一冊でした。
 芭蕉のおくのほそ道の旅は、およそ150日に及びます。私といえば、なかなか進まず、1年以上かけて読み終えたほど。今以て文の真意を理解できないところがありますが、幾度も読み返す大切な一冊です。古本は人の手を経るうちに、その本だけがもつ歴史が生まれると思います。
 そもそも芭蕉は、この旅から4年後に「おくのほそ道」を執筆しはじめ、次年完成したものを旅に携帯し、その年10月12日に51歳で亡くなります。
 残された清書本は、弟子たちによって出版刊行されて広まりました。その原本や初版本、清書する前の自筆本や曽良も持っていた本なども人から人へと渡り、この古書の生む文体の魅力を知るのです。
 社会の多様化とデジタル化で本をめぐる世界は大きく変わりましたが、どの時代も本を愛する人々がいて、守り続ける人がいると思います。きっといいものは、どこかで生き続ける、そうあってほしいと願うのです。

風流のはじめ館

高橋 亜純

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