火曜コラム(紙面掲載 2024年3月5日)

高橋 亜純


桜の木の絵の前で

 「いま絵を描いていました。見ていきますか?」春浅き2月。提出物を届けに書の先生を訪ねました。
 先生の絵は自由自在、美しく、優しく、見る人を包み込んでくれます。教室にあがると、奥座敷に立てかけてある50号ほどのキャンパス。そこにはえもいえぬ淡い紅色、淡黄色、そして群青色を背景に、いっぱいに広がっている枝が描かれていました。ピンク、イエロー、ブルーといった概念的な色名でなく奥深い色、まるで木の精がいるかのように色が生きて見えます。
 「桜の木を書いています。ようやく筆が進むようになりました。」その絵は清々しく、果てしないほどの自由があり、なにか胸に突き上げる感じがしました。桜は日々刻刻変化し、古から潜在的な美しい力をもつ花です。
 ふと桜について染色家の志村ふくみさんの印象的な話を思い出しました。「まだ、折々粉雪の舞う小倉山の麓で桜を切っている老人に出会い、枝をいただいてかえりました。早速煮出して染めてみますと、ほんのりした樺桜のような桜色が染まりました。(『一色一生』)」
 つまるところ、花の咲く前の黒のゴツゴツとした樹皮や枝を使うのです。桜の花びらを集めて染めてみてもその色は決して出て来なく、煮出した花びらが付ける色は灰色がかったうす緑だとあります。とはいえ、あの幹から桜色が現れるなんて不思議なことです。
 てっきり淡い、匂い立つような桜色に染めるには、桜の花弁を集めて染め上げていくのだと思っていたら、全く違ったようです。
 ならばと、散歩中に拾った堅い蕾をもった木枝を煮出してみました。吹き出してみると、赤茶の液。匂いも部屋にたち込め、飼い犬が
 深刻な顔をして匂いと格闘しています。
 木も眠っていたから強い匂いを出したのでしょう。懸命に香りと色を発散したようでした。技術はもちろん、木の性質や伐られ方などにより、細やかな色の変化がある染色には、さしずめ私には百年早い結果に終わったのでした。
 週末、息子の引っ越しを手伝いに千葉へ。新しいアパートの前には公園が広がり、部屋からは桜の木が見えました。窓を開けると暖かな空気にのせられて、何処からともなく届いた柔らかな花の香り沈丁花です。深く吸い込むと凝り固まった体がほぐれるような気がします。あと1週間もすると桜の初便りが届くことでしょう。
 そして花の開花はその一端を見せているだけで、木全体の一刻も休むことのない自然の周期を感じました。
 先生の桜の木にはどのような花が綻んだのでしょうか。またあの絵の前に立つのが楽しみです。

風流のはじめ館

高橋 亜純