火曜コラム(紙面掲載 2021年8月31日)

高橋 亜純


季節を届ける祭

 処暑とはいえ、残暑がまだ居座っているようです。それでも秋風が立ちそめる宵のこと。浴衣を着た小さな女の子が路地を走り抜けていきました。浴衣に素足に団扇、という姿が見られない年が続く中、微笑ましい光景でした。
 子ども時分、毎年父といった夏祭りを思い起こします。愛知県犬山市字富士山一番地にある尾張富士の「石上げ祭」は、なんでもその昔、尾張富士のお山が隣の本宮山と背比べをしたところ、負けてしまいました。
 それをたいそう嘆いた山の神様が村人の夢枕に現れたので、神慮に応えようと石を山頂に担ぎ上げ、山を高くしたことが始まりとか。
 読んで字の如く、大人も子供も祈りを込めた大小の石を汗だくになりながら山頂まで運びます。
 とっぷり日が暮れると、打ち上げ花火を合図に提灯がゆらめく参道を、80人ほどが火をつけた松明を振り回しながら、一気に駆け下りる火振り神事が始まります。
 子どもながらに煌々と燃える松明に緊張感と幾ばくかの興奮に包まれたのを覚えています。この祭りを皮切りにあちこちで盆の祭りが開かれました。
 普段でしたら漆黒の闇が訪れますが、盆の夜は特別な灯。夕刻、盆太鼓がなり始めるといつしか踊りの輪が広がり、やぐらの周りを大人が月を両手で取る如く踊るのを見よう見まねで動きをなぞって踊りました。
 もともと盆踊りは戻ってきたご先祖の霊を迎え入れ、しばらく過ごした後、浄土へ送るというもの。灯りは、ご先祖の霊があの世へ戻る道を照らすものです。
 とりわけ楽しみにしていたのが岐阜県郡上八幡の「郡上踊り」。毎年9月上旬までの約30夜にわたる日本一長い期間の盆踊りなのは知るところ。長良川鉄道に揺られながら「踊りのまち」へ向かいます。
 「アッソーレンセ―」の掛け声とともに一歩踏み出せばあとはただ延々と町を踊り流します。地域交流の場となり、帰省した人々が懐かしい顔を灯の中で見つける再会の場になるのでしょう。祭りは人と人を結びつけます。
 ときに今日8月31日は、立春から数えて「二百十日」目。暦の雑節の一つです。ちょうど中稲の開花期になり、そして台風がやってくる頃です。「八朔」や「二百二十日」とともに農家にとっては厄日。せっかく実ろうとしている稲が台無しにならないかハラハラし風を警戒します。
 そこで大切な作物の無事を祈る風鎮めの祭りが行われます。なかでも毎年9月1日から3日3晩、踊り明かす富山の八尾町「おわら風の盆」は、風を鎮める豊年祈願と盆踊りが融合した祭りです。ぼんぼりの灯りがともり、三味線に尺八、哀調をおびた胡弓の音色が八尾の街に響きます。
 鳥追い笠をかむった踊り手たちが、しなやかに舞う姿は洗練された艶やかさ。いつか行ってみたい祭りです。
 地域により背景は異なるものの、季節が移ろうごとに自然の神様に感謝する文化の中で「和」を紡いで、次の日常に繋げていく「祭り」。来年こそは、本来の祭りが開催でき、皆が帰ることが出来ることを願います。

萩すすきはてしのつかぬ踊りかな 多代女

風流のはじめ館

高橋 亜純