火曜コラム(紙面掲載 2021年10月5日)

高橋 亜純


「旅は犬連れ」

 昨日は、人類初の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられた日。そしてモスクワ通りで拾われた雌犬「ライカ」が宇宙船スプートニク2号に乗って、大気圏を飛び出し宇宙に突入したのは、1957年11月3日。地球上の生物として初の軌道飛行を達成したライカは生きて戻ることはありませんでした。
 宇宙服に身を包み、広い宇宙の真ん中でたったひとり。宇宙空間をさまよい、地球や星々を見つめまばたきしていたライカ。彼女は人間を楽しませるための娯楽の一種で、人間の「宇宙進出」を物語るために選ばれた気さえします。その4年後、ユーリ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功したのですから。
 ライカは、モスクワの街角を縄張りにする野良犬でした。食べ物を探し、他の犬と争い、寝る場所を探し、過酷な日々を通して、本能のままに生きていた犬です。
 いまも昔も野良犬は深刻な社会問題です。やはり、地域に野良犬がうろついていたら健全ではありません。
 とはいえ、今でこそ、犬は飼い主がいるのが当然ですが、日本もかつては市中に野良犬が徘徊しており、夜間に外出するのもままならない時代もありました。
 飼い主のいない方が、むしろ当然だったと思われていたのでしょう。花のお江戸は犬ばかり。犬たちは長屋の路地、寺のお堂や藪の中などに住み着き、町の中は糞だらけです。
 「伊勢屋、稲荷に犬の糞」なんて、落語のネタにあるほど江戸に多いものの例えとして、使われていました。
 その辺りにいつも犬がウロウロしていたとすると、野犬だろうが飼い犬だろうが判別がつかない。思うに、犬はかなり自由に動き回っていたようで、長屋の住人全体の飼い犬としての位置づけだったのでしょう。
 こういう犬を里犬と呼んでいました。江戸時代は究極の循環型エコ社会ですから、上下水道が完備されて、ゴミは完全に分別して再利用されていました。
 里犬は家庭で食べ残した野菜や魚の骨などを食べる役割があったのではないでしょうか。今は家庭の生ごみは業者が取り扱うことになったので、犬といえば番犬や愛玩犬として求められるようになったのだと思うのです。
 さて我が家にも何の縁か、犬がやってきました。保護犬です。いわゆる飼い主を失った野良犬なのです。甘えるのがへたくそで、誰かを喜ばせようとしても、報われずに育ってしまったのでしょう。傍若無人の反抗期真っ只中。でも語り聞かせています。
 「あの宇宙に散ったライカより、きみは幸せなんだよ。一人じゃないんだよ。大丈夫、もう心配はいらないからね」と。時間はかかりますが、お互いかけがえのない存在になればと思います。
 スプートニクとは、ロシア語で「旅の連れ」という意味です。これから人生のよきパートナーになれますように。

曳かるる犬うれしくてうれしくて道の秋
 風生

風流のはじめ館

高橋 亜純