火曜コラム(紙面掲載 2021年11月9日)

高橋 亜純


「初時雨」

初時雨猿も小蓑を欲しげなり 芭蕉
 芭蕉が山道を歩いていると小雨にあい、傍らにそぼ濡れて寒そうに震えている猿がいて、こんな冷たい雨だと猿も蓑が欲しいでしょう、といった句意でしょうか。この句、おくのほそ道の旅の直後に詠んだ芭蕉の最高傑作のひとつ「猿蓑」巻頭の句であります。
 ひと雨ごとに寒さが増してくる季節です。ぱらぱらと雨が降ったと思えば、じきに止み、青空をのぞかせる、その年はじめて降る初時雨は、山の生き物や私たちに「そろそろ冬がやってくるよ」と、冬支度をする時期を知らせてくれます。
 時おり降り、時おり止む「時雨」の名を添えた表情豊かな名前がいくつもあります。
 朝、降りみ降らずみを繰り返す「朝時雨」に「夕時雨」は冬のすぐに暮れる夕刻の時雨。夜の時間にしとしと降る雨「小夜時雨」、月明りの中で降る雨を「月時雨」といいます。
 ちなみに小夜の「小」は、言葉の調子を整えるための接続語です。色が少ない冬に紅い花を咲かせる山茶花。その花に降りかかる時雨を「山茶花時雨」、涙でぬれるさまを「袖の時雨」などとまあ、こうした繊細な響きの言葉はいつの時代から使っていたのでしょう。
 かくして時雨は遠い昔から、風情ある雨として俳人歌人らに大変好まれてきました。
 詩歌の中では、心細さや人恋の想いを重ねて身に染みる雨が似合う言葉ですが、ここに芭蕉が敬愛する西行法師の歌があります。
 月を待つたかねの雲は晴れにけりこころあるべき初時雨かな
 (月の出を心待ちにしていると、高嶺の雲が晴れました。何とも情緒を解する思いやりのある初時雨でしょうか。)あたかも時雨に心というものがあるかのように擬人化されています。
 そして、時雨が俳句の世界を代表するような言葉になったのは、ことさら芭蕉が好んで用いたからです。それにちょうど時雨の季節に芭蕉は亡くなったからでしょう。
 時雨忌ののちのしぐれや袖の露 多代女
 芭蕉が亡くなった命日を「時雨忌」といいます。元禄7年(1694)10月12日(新暦では11月28日)に旅の途次大坂でこの世を去りました。小春日和の暖かな日だったといいます。
 全国各地には、時雨塚(翁塚)と呼ばれる芭蕉の遺徳を偲ぶ者が建立した碑があります。
 寛政元年(1741)には、須賀川上北町に時雨塚が等躬のあと、須賀川俳諧を継いだ藤井晋流により建立されています。
 芭蕉は時雨を好み、蕉門一門も時雨を愛しみ、その後の俳人も時雨に心を寄せます。
 そして11月19日は、芭蕉をもてなした相楽等躬の命日。
 時節柄、毎日のように時雨が降り、石畳を濡らしています。そのさまは雨粒の一つ一つまでが芭蕉や等躬を偲び、そして祝福しているかのように感じさせてくれるようです。
 
 四方山を胸に集めて時雨れけり 晋流

風流のはじめ館

高橋 亜純