鵜飼の季節
どれほど前のことだったか、暑い盛り「ぎふ長良川鵜飼」を見に行ったことがあります。
郷里の愛知県犬山にも「木曽川鵜飼」があるのですが、「長良川鵜飼は芭蕉も句をよんどるし、チャップリンも来とる。川端康成の『篝火』の舞台にもなっとるがね。今日は長良川に行こう」と父に誘いだされました。
父が屋形船の切符を買っている間、私は辺りを散策していました。岐阜県川原町。長良川の川港として栄えた面影が町のあちこちに残っています。古い町並みを歩いているとどんな処でも、底知れぬ物語が横たわっている気がしました。
その日は、ぎらぎらと太陽が容赦なく照りつけて5分と歩いていられないほど暑い日だったのを憶えています。ひさしを求めながらつらつらと歩いていると、長良橋の袂に句碑がありました。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉
元禄元年の夏、芭蕉45歳の時の発句です。岐阜滞在中に門人らと長良川鵜飼を見物の折に詠んだ句といいます。鵜飼の一夜が更けて鵜舟が篝火とともに闇の彼方へ消え去るにつれ、あれほど面白がっていた心が、何とも言い知れぬ物悲しさへと変わっていくようだという句意でしょうか。
鵜に鮎を獲らせ、でも鵜は鮎を食べられない。鵜の定めに心が揺さぶられ、面白さから切なさ、もどかしさ、憐れさを「悲しき」と心の移ろいを詠んでいるようです。
夜の帳が下り、陽が沈みかけると出船です。
「前に座ろう。近くまで鵜舟が来るから」と父に言われ、屋形船の舳先に席をとりました。
川面を渡る風はなく、時折さらりと体に涼やかな風が送り込まれます。見渡すと、まわりの宿や家々の灯りは消えています。なんでも鵜飼の時間に申し合わせて、一斉に明かりを消す。鵜飼の篝火が映えるようにという計らいだそう。
船は、川の中央を空けるようにして川辺近くに停泊し、始まりを待ちます。すると漆黒の闇から「ホウホウ。ホウホウ。ホウホウ。」と鵜匠の掛け声が聞こえてきます。どことなく哀切な感じを漂わせ、いつまでも耳に残りました。
6人の鵜匠は代々世襲制で職名を「宮内庁式部職鵜匠」といい、宮内庁からの任命を受けているとのこと。鵜匠と鵜は一緒に暮らして心を通わせるんだと、少々得意気に父は語っていました。
風折烏帽子を被り、腰蓑をつけた鵜匠は、10羽前後の鵜を手縄で巧みに操り、篝火で驚かした鮎を次々と捕った鵜を船べりにあげては、鮎を吐き出させていました。
1000年を超える歴史を持ち、かつて日本全国で行われていた伝統的な漁法です。ですが今では、こうした民俗文化は観光対象となり、消滅の危機にもあるといいます。
その土地の風物や文化の独自性に触れることで、自分の住む町の文化がどこにでもある無個性なものでないかと見直し、本質的なものを大切にすることができれば、歴史文化の観光の意義は大きいと感じるのです。
父はいま犬山城が見え、鵜飼が見えるところで眠っています。夏になるとまた、あの懐かしい夏の匂いや音に会いにゆきたくなります。