火曜コラム(紙面掲載 2022年7月5日)

高橋 亜純


蚤(のみ)の市へ

 晴空の週末。森の中で行われた「蚤(のみ)の市」に出かけました。
 北欧の陶器や佇まいの美しい暮らしの道具、洗練された古い一点物を並べる店がある一方で、箱のままガチャガチャと置かれた食器やパーツ類に古い絵葉書、骨董好きやコレクターに根強い人気のものが見尽くせないほど並びます。
 自由で雑多に並ぶその中には、欠けたり割れたりしても修復をし、愛着を持って使い続けてきたものがあります。そしてまた誰かが丁寧に使い、大切にする。こうして、ものにも歴史が生まれ、ものとしての生命力が強くなっていくのだと思います。
 「蚤の市」はとくに欧州の町の広場や公園で開かれる古物市。フランス語に由来し、日本語に直訳した言葉です。蚤の由来には諸説あるようで、古物についた蚤がぴょんぴょんと居心地のよい場所を求めて移動していくのだとか。商品も人の手から人の手へと移動していくため、これをなぞらえて「蚤の市」と呼ぶようになったという説も。蚤の俗意の「おんぼろ」にも由来しているのかもしれません。
 蚤の市の日本版となれば、「世田谷ボロ市」があります。戦国時代、経済政策とした楽市が開かれたのが、このボロ市の始まり。楽市掟書によると毎月6回、1と6のつく日に開かれていたので「六斎市」ともいいます。
 農具などが中心に売られていましたが、古着や草鞋の補修に使うボロが安く売られるようになり、いつとはなしに、「ボロ市」と呼ばれるようになったそう。 
 須賀川総鎮守・神炊館神社には六斎市の守り神「三八稲荷」があります。江戸時代、月に6回、3と8がつく日に市が開かれました。
 宿場町須賀川の町おこしとなった定書「定條々」には、須賀川中町、古町(本町)、北町の六斎市についての定書きが記され、とても興味深いものです。米の相場を決める一方、庶民の衣食住あらゆるものの循環型社会の場でもあったでしょう。
 物が壊れたら修理に出すか捨てるかを選択する現代人。便利すぎて人が修理能力を積む環境はなくなりましたが、かつては誰もが暮らしの知恵を持っていて再利用するのは当たり前でした。
 古いものに光をあてて、使えるものはとことん使う。自分にとって不要でも、誰かほかの人には使えるだろうと、その人の見立てやアイデアで新しい使い道を考える。そうやって物語を背負った古いものたちには、また次の生活の一部として存在していきます。
 さてこの日、ゆっくりお店の人と話しながら、散歩気分で気に入ったものを探しました。そして、北欧の老舗名窯の私が生まれた年代に作られたお皿の新しい持ち主となりました。
 蚤の市も様相がだいぶ変わりましたが、ものを循環させて可能な限り無駄をなくす心持をこれからも大事にしたいと思うのです。

風流のはじめ館

高橋 亜純