朝顔
いつもの散歩コースの途中に古い邸宅があります。その家の前を過ぎると葭戸(よしど)に簾(すだれ)がかかり、軒には吊り忍に下げられた風鈴がちろちろ鳴っていました。
涼しい風が立ち起こるわけではありませんが、夏の設えが暑さをやわらげ、涼しさが一瞬届いた気がします。
玄関先からは草木の庭が続いており、垣根いっぱいにアサガオが朝光を浴びて這っていました。まるで江戸琳派の絵師・鈴木其一の「朝顔図屏風」に描かれた群青色の世界のように渦を巻き自在に広がり、立ち止まらずにはいられない光景です。
古くから詩歌や俳句、歌舞伎にも登場する「朝顔」は、日本に親しまれた花の一つです。
そもそも千年も前に薬草として大陸から日本に渡り、江戸時代までは薄青や白の単純な円形で素朴な花でした。
アサガオには「筒白」とよばれる白い模様があります。着物の「絞り染め」のような風合いを醸し出すのはこの白が決め手。とても涼しげにみえます。
多くのアサガオが並ぶ朝顔市が開かれていた東京入谷の鬼子母神にでかけたことがあります。
当然アサガオなので朝早い時間に始まり、静けさと市の活気が対照的であったのを憶えています。
入谷には田圃が多く、そのあたりの土の質がアサガオの栽培には向いていたそうです。江戸っ子を熱狂的にさせたアサガオは朝に花を咲かせ、昼には儚く花びらがしぼんでしまいます。
また質素な暮らしをしていても、花を愛でた江戸っ子にとって植木鉢で育てられ、1年で種が採れるので、せっかちで負けず嫌いな気質にぴったりだったのでしょう。
朝顔市が有名になったのには仕掛人がいました。植木師・成田屋留次郎という名人がおり、「変化咲朝顔」で一世を風靡(ふうび)したというのです。細く裂けたような花びら、八重、葉先がころんと丸まったものなど、とにかく変わったアサガオは高値で取引されました。
とんでもない手間と技術、そしてお金をかけて京や大坂など珍花を集めて品評会「花合わせ」をあちこちで開き、図説を作るなどプロデュースをします。原種は青い花を咲かせますが、次第に白、赤、桃、紫、茶色といった多彩な色も現れます。
黄色は「幻の花」。江戸で最初に刊行された朝顔図鑑「あさがほ叢」などで黄色のアサガオをみたことがあります。そこには、「薄黄」「極黄采」と言われる山吹色のアサガオが掲載されていました。
朝貌の黄なるが咲くと申し来ぬ 漱石
わざわざ知人から「黄色の朝顔」が咲いたと伝えた手紙に、それは珍しいやと、句に書き留めたのでしょう。
自然の変事は、慌しい日常の中ではつい忘れてしまいます。道端の見たことのない花、空が高くなったこと、夏の夕方のにおい、不思議なもの、懐かしいもの、美しいものは山ほどあるのでしょう。きりがなく。
「朝顔」は秋の季語。まだこれから夏本番というのに、暦の上では、もう秋です。