火曜コラム(紙面掲載 2022年10月25日)

高橋 亜純


和傘咲くまち

今日よりや書付消さん笠の露 芭蕉
 ずっと旅を共にしてきた曽良とは此処で別れ、ここからは一人旅。笠に書いた「同行二人」の文字も露が消すのだろう。という句意でしょうか。
 雨除けにはかつて蓑笠でしのぐのが当たり前でした。傘が雨具として普及したのは江戸時代。それも元禄頃(1688~)以降といいます。仏教文化とともに中国より伝わった和傘。当初は身分のある人の後ろから従者が日よけや魔除けとして差し掛ける開閉のできない大きな傘でした。
 急な雨に店の屋号をあしらった傘を客に貸し、店の宣伝に使われたのが「番傘」です。太い54本ほどの傘骨に和紙を張り、その上から油を引きます。よく浮世絵などで番傘をさす芸者や遊女が描かれています。
 番傘に秋雨の音やはらかに 占魚
 どんな音なのでしょう。傘に響く雨粒の音色と透ける和紙から届く柔らかい光はしっとりと心を落ち着かせてくれます。
 また、貫禄がある番
 傘とは違って、細い竹
 が用いられ女性に扱いやすい「蛇の目傘」も流行します。和装の花嫁さんが嫋(たお)やかに「蛇の目傘」をさしているのをみかけますが、これは厄災から守る意味も込められています。
 基本的に傘は高価なもので使える人は限られていました。傘が普及すると「古傘買い」と呼ばれる、役に立たなくなった傘を買い集める商人が現れます。
 骨は燃料に、残った油紙は丁寧に剥がしとって、魚や味噌など水気のあるものを包む紙としてリサイクルされます。余すことなくものを大切にし、壊れれば修理する。江戸の暮らしには生きるための知恵と経験が詰まっていました。
 夏の終わりに、岐阜市を流れる長良川沿いの川原町を訪れました。岐阜市は日本一の和傘の生産地。古くから、長良川の恵みを受けて美濃和紙や真竹、えごま油など良質な材料が入手しやすかったことや下級武士の内職として傘作りに勤しんだこともあり地場産業として発展した歴史があります。
 その町に築100年以上にもなる町屋で商う和傘工房がありました。店の中には、花の色、火の色、祭りの色と心躍る和傘が空間に美しく広がっています。
 「和傘は閉じた時と開いた時の佇まいが違いますよ」と職人さん。広げると花びらの形、ぼかし染めや月が浮かび上がるような模様、傘の中に広がるかがり糸の華。
 和傘は一見華やかにみえますが一つひとつの工程は気の遠くなるような作業の繰り返しです。湿度や気温によって和紙や骨組みの状態も異なります。
 いまや茶会、日舞や歌舞伎の小道具などでしか目にすることがなく、特別なものになってしまった和傘。その歴史あるものに新しい光を当てる。もてなしの一つとして先週より本町商店会、本町町内会らによる「風流の和傘アート」が当館周辺で始まり、色鮮やかな和傘の灯りがまちを灯しています。
 傘から透る灯りが見る人の心を躍らせる秋日―楽しんでもらえますように。

風流のはじめ館

高橋 亜純

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