火曜コラム(紙面掲載 2022年11月29日)

高橋 亜純


金沢の川景

 石川県金沢市。初めて訪れたのは30年前の小雪が舞う寒い日でした。そして思い出すのは兼六園や武家屋敷ではなく、黒瓦の街並を脇に配し、山に向かってすっと伸びる川面の美しさ。
 金沢城を中心に街を並行するように二つの川が流れています。たっぷりと豊かな川、雄々しい流れの犀川は「男川」。こよなく犀川を愛した文豪でもあり俳人でもあった室生犀星は詩の中で「蒼き波」と詠んでいます。優美な流れの浅野川は「女川」と呼ばれ、瀬も荒れていなく悠々と、こんこんと流れる川でした。
 ときに秋が深まる好日、金沢に行こうよと名古屋に住む娘に誘われ、少し遠出をしてきました。仕事の合間に思い立ったらすぐ旅に出る彼女のその放胆さと安心感にあやかって。
 犀川大橋から少し歩くと芭蕉句碑が建っていました。
 〈あかあかと日はつれなくもあきの風〉
 もう秋風が吹くころなのに、残暑の光が容赦なく照りつけているよという句景でしょうか。芭蕉も見た犀川は陽を受け、どこまでも蒼く輝いています。
 この日は川面を吹き渡る風が頬に心地よく、目を閉じ、大きく深呼吸。身体に溜まっている悪いものを吐き出し、澄んだ空気を体の隅々まで取り入れます。水が流れている、というだけで浄化作用があるような気がすると娘。たしかに川を見ていると気持ちが落ち着くのです。
 「犀星のみち」と名付けられた川沿いの道を歩き、桜橋から石伐坂を登り、寺町へ。寺町はその名の通り、約70もの寺院が集まり、黒塀や石畳の通りが続きます。
 しばらく歩くと願念寺、芭蕉が逢うのを楽しみにしていた愛弟子の菩提寺がありました。茶商であった俳人、小杉一笑。不幸にも芭蕉が訪れる前年、36歳の若さで他界しています。
 境内には芭蕉が追悼供養で詠んだ深い悲しみの句の碑がぽつねんと建っていました。
 〈塚も動け我泣声は秋の風〉
 塚よ、心あらば動き出しておくれと驚愕とともに落胆。なんとも読むたびに涙ぐましくなるのです。
 芭蕉が最初に泊まった宿は、浅野川の川音が聞こえる東廓(現ひがし茶屋街)の近くとか。時折漏れ聞こえる三味線や笛の音。カラカラと格子戸の開く音。江戸時代そのままの紅殻格子の家並みが続いています。芸妓衆が行き交う粋で艶やかな「遊郭」の賑わいの名残が其処にありました。
 そこから浅野川に添い主計茶屋街に進むと、そこは両手を広げれば届くような細く曲がりくねる道ばかり。まるで家と家との間の隙間のような空間から延びる坂。幻想の作家・泉鏡花の生家跡の界隈には、鏡花が愛しんだ兎の掛行燈が足下を照らしています。
 さて予約をしていた店で存分に胃袋を満たし、店を後に。外はとっぷりと日が暮れて、ちらちらと街の明かりに揺れる川面の先には三日月が光を放っています。
 月の美しい金沢の夜でした。

風流のはじめ館

高橋 亜純