言祝ぎ
一年でいちばん寒い時季です。年神様を迎え松の内の賑わいも過ぎると松納め、正月事じまいとあっというまに時間が過ぎていきます。万事いつもの日になってしまったのに気もそぞろ。
今更ながら、心が豊かになるのは無理をしながら頑張ることでも、とことん手を抜くことでもなくて、ちょうどいい〝加減〟のものさしをもつことなのだと気づかされます。
そんな時、気分転換にすることは散歩。つめたい風がパリンと音立てて凍るような朝のこと。紅い実をつけた植物が目に留まりました。お正月に飾る縁起物で大判小判が目に浮かぶ福々しい名前。千両とか万両とかいう植物ですが、見分けがつきません。
どうやら私が見たのは「万両」。見分け方は、実のつく場所の違い。「千両」は、葉の上に実をつけますが、「万両」は、実を葉で隠すように実らせます。万両、千両とくれば・・と思い、調べると「一両」から始まり、「万両」までありました。まるで小判を数えているよう。
「千両」は古くは「仙蓼」でしたが、江戸初期に「百両」、別名唐橘(からたちばな)より勝るという意味で「千両」と名付けられたそうです。その唐橘は寛政年代に好事家の間でたいそう流行し変わりものの姿形は法外な値段で取引していたとか。
「十両」は藪柑子(やぶこうじ)の別名。秋の終わり、葉陰にこっそり隠れるように実をつけます。「一両」は蟻通(ありどおし)ともいいます。長くて鋭い針のような棘があるのが特徴です。
「千両、万両も一年中あり通し~♪」とお金に困りませんようにと福徳を願い縁起担ぎをしたのです。花木の和名はいとおかしく、昔の人の名づけのセンスは豊かなのです。こうして名前の由来を辿っていくと、歴史や人々の関わりなど、どんどん世界が広がります。
さて、万両の花言葉は「言祝ぎ」。美しい言葉です。字の通り、言葉を使って祝うことをいいます。日本は「言霊の幸わう国」といい、「この国は、言霊、すなわち言葉には不思議な力が宿っていて、その力によって幸せになっている国」とする「言霊信仰」があります。
つまるところ、科学的な根拠がなくとも、ポジティブな言葉を口にすることによって、幸せを招き入れるという思いが込められているのです。
とすれば、漠然とした心緒から、どんな言葉を拾い上げるかで、日々の暮らしも変わるかもしれません。一度発してしまったら取り消せない言葉。良くも悪くも自分自身に帰ってくる気がします。
相手に良い印象も悪い印象も与えることができる両刃の剣。これからどれほどの背景や想いが重なり心動かす言葉に出合うのでしょう。ささくれだった言葉で自分自身を汚さないように。嬉しい言葉の種を撒いていたいものです。ちなみに「十両」の花言葉は「明日の幸福」。きっと明るい日に違いありません。