天上の花
深い森の中に雪のように純白の花が浮かび上がっていました。冬枯れの山野にいち早く春をしらせているかのように咲いています。白い花はまだ風が冷たい季節に一斉に花を咲かせる辛夷(こぶし)。梅には遅く、桜には早い。春の狭間にそっと咲く控えめな風情があります。
お彼岸のころ、郷里の愛知に信州回りで向かった途中に出合った景色。其処は空も、森も、草むらも美しく響き合って、まるで東山魁夷の絵画に出てくるような風景でした。
実際すこし道を外れれば、魁夷が旅した蓼科の御射鹿池があります。代表作のひとつ「緑響く」。一頭の白い馬が青緑色の湖畔を歩む姿を描いた絵のモチーフになった場所です。
昔日、その実物を前に東山ブルーと言われる「青」に引き込まれ、何度となくその池を訪れました。向こう岸の森が水面ぎりぎりに迫り、木々が逆さまに映り込む水鏡の景。秋には唐松が紅葉して湖面が紅く染まり、冬は雪の造形が映る、青の、橙の、白の深閑とした色彩の森になります。
すべては思い出せませんが、景色の断片、かけらを集めると記憶の中で季節が映像として流れ余情が幾重にも押し寄せてきます。
森を抜けると眼の前に現れる北アルプスの壁。右方には南アルプスの峰々が続き、時々刻々と山々の景が変わります。
春は萌え夏は緑に紅の斑らに見ゆる秋の山かも
万葉集(作者不詳 巻十・二一七七)に収められています。ひとつの場所で巡りくる季節の色をたのしむ日本人は、それを文字の中に織り込んでたのしみ、時に人の世と重ね合わせました。
それから旧中山道に沿って山間を走る国道19号をひたすら走ります。中山道は木曽路ともいう京と江戸を結ぶ五街道のひとつ。
魁夷が遊び、芭蕉や子規が辿った峠道。木曽川沿いに点在する“木曽十一宿”と呼ばれた中山道の宿場町が続きます。どの宿場も長い歳月をかけて風土を育まれ、より住みやすく、より美しく手を入れ続けてきた住む人の粋が其処かしこにみられました。
途中、魁夷青年がテントで寝泊まりしていたとき、烈しい雨に遭い、駆け込んだ農家に温かいもてなしを受けたとのこと。この旅で自然の雄大さや厳しさを、そして木曾の人たちの素朴な生活に心を打たれ、やがて風景画家への道を歩む決意をしたのだとあります。
最後に立ち寄った馬籠は江戸から約八十三里。山の屋根に沿う石畳の急峻な坂道に肩を寄せ合うように並ぶ宿場です。通りから一筋の道を入っていくと眼下に棚田が広がっていました。
田で汗をかき、田畔や木陰で人が憩うのでしょう。風景の向こうには時間や歴史が立ち上がり、山には辛夷が咲く姿が目立ちます。東北では「種まき桜」「田打ち桜」とも呼ばれ暦がわりにして、米作りの準備にとりかかります。
春を待つ人々の思いを代弁しているかのような凛とした美しさ。青く澄み渡った空、日射しを集めて咲く白い花はまるで天上の花のようです。今を生きる私たちと祖霊を引き合わせるように。