火曜コラム(紙面掲載 2023年10月3日)

高橋 亜純


小妖

月さすや酒下げて出づ可伸庵 基吉

 霧月夜の下、歌舞する河童たちの画が掲句と他二句に添えられています。これは今月6日から本館企画展で展示する掛軸の俳画です。
 二足歩行で笛を吹き、口は犬のようで、ギラリとした白目、髪はざんばら髪。水陸の両義性をもって、水辺の精霊とでもいえるでしょうか。
 見ていると余白から、架空の世界に入り込んだ心緒になります。河童の絵は数多にあります。姿はいろいろ。共通しているのは、背中に亀の甲羅のようなものを背負って、頭に丸いお皿がある所です。
 大きな悪さはしなくて、川に来た子どもの足を引っ張る、馬を水中に引き込むといった具合。それでもって、相撲好き。やたら「相撲をとろう」と言ってきます。きゅうりも好物。河童は水神様といわれるので、相撲は神事できゅうりは水神様への欠かせない供え物というわけです。
 古来、日本人は自然への畏れや理屈では説明できない事象への答えとして河童などの想像上の動物を生み出します。博物書などでは猿人のような姿で描かれていた河童が親しみの持てるイメージで定着してきたのは江戸時代。浮世絵や黄表紙などにもしばしば登場し大衆文化として発展します。 
 浮世絵師・葛飾北斎の北斎漫画にある河童は秀逸。体中に鱗がある河童が隅にちょこんと体育座りをしてうなだれている。人生に疲れているような哀愁漂う姿をしています。
 須賀川ゆかりの「河童の芋銭」の異名を持つ日本画家・小川芋銭がいます。彼の描く河童は、妖しく、可笑しく、とらえどころのない不気味さに魅入られます。
 河童は悪さをすると、いつも最後は人間に叱られて、命を助けられ「詫び証文」を残していきます。これは、全国に点在している昔話。
 福島県ですと、天栄村沖内の橋の袂に「河童の詫証文伝説地」があります。天正(1580年代)の頃、馬の尻尾を引っ張ろうとした河童を殿様が怒って、手打ちにしようとした。涙ながらに命乞いをした河童に詫び証文を書かせ許した。以後、たびたび洪水があっても人や農産物の被害はなく、水難除けの神様として祀った、という話。
 こういったたぐいの話を知ると昔の人は、河童などの妖を緩衝材として、多様な生き方への寛容さを持ち合わせていたのだと思います。
 思考の中で不思議と思っても、物理的に証明されなくては居るとされない、根拠が大切、それが現代的。ただ、目に映るものだけに心を奪われず、ときには子供のように純真に物事を見ると、大切なことがみえてくる気がしてきます。
 澄み渡る秋の月は美しく、ことに先日の中秋の満月は大きく真丸く光り輝いていました。
 中秋の名月の翌晩は「十六夜」。次は「立待月」次の次の次の夜、今夜は「臥待月」。夜も更けてから出てくる月です。そのころ、小さな妖が月の下で踊っているかもしれません。

闇の世も月が出づればをどり出す 康治 

風流のはじめ館

高橋 亜純