火曜コラム(紙面掲載 2023年11月7日)

高橋 亜純


香を聞く

 秋の涼やかな風が吹く朝、真っ先に飛び込んできた香りがあります。職場の前庭にある金木犀の一樹。小さな花群は、葉の色彩に映えて、毎年、そぞろ郷愁を誘われる甘やかな香りを放っています。
 散歩をしていると何処からともなく流れてくる香りに出会い、どこで咲いているのか探してしまいます。
 誰しもが記憶の奥に留めている好きな香りがあるのではないでしょうか。季節の移り変わりを感じる自然が織りなす花木の香りや雨上がりの土の匂い。新しい本とか墨、珈琲の香る部屋の匂い、はたまた仔犬の匂いとか。
 香りは音や光と違って無限広大に広がる力があり、意識している以上に深く、私たちの生活に関わっています。心地よい香りもあれば、決してそう感じられない臭いも。
 人工的な強い香りは印象が強い反面、そのあと臭覚が麻痺してしまい、本当に豊かな香りが分からなくなってしまう気がします。
 一般的にいう「天然香料」には、植物の花、実、根、葉、樹皮を用いるものから麝香(じゃこう)鹿から採れるムスクなど動物由来のものまであります。なかでも樹木から採れる「香木」は珍重されてきました。沈香や白檀がそれです。
 仏教の伝来とともに大陸より伝えられたと言われている「香文化」。『日本書紀』には「大きな沈水香木が淡路島に漂着し、島人がそれと知らず薪とともに燃やしたところ、その煙が遠くまで薫り、これを不思議なこととしてこの木を朝廷に献上した」と、日本最古の「香」の記述が残っています。
 摂政の聖徳太子がこれは至上の宝「沈香」であると教えたそうです。沈香の中で最も品質の優れたものが「伽羅」。なんでも伽羅の香木の価値は「金の十倍の値段がつく」とか。
 異国の人たちの手によって届けられた歴史に思いを馳せ、貴重なものとして慈しみながら使う。それが日本の香文化の根底にありました。
 先日、当館においてすかがわ大人塾「志野流香道 香りをたのしむ」を開きました。香道は日本を代表する芸道のひとつ。
 この日は、一つの香木の香りを追求するとともに、複数の香木の香りを聞きあてる秋の組香「月見香」に触れました。
 香木を順番に聞き、その順番によって十五夜、待宵、水上月、夕月夜など、どんな月の情景が浮かび上がるのか想像を膨らませ聞きあてる遊びです。幽玄で気品のある香りがゆっくりと茶室に広がりました。
 「香りを聞く(聞香・もんこう)」とは、香りが伝えるものを心で聞きとることをいいます。聞くコツは「静かに深く長く聞く」こと。
 全身をかたむけて、今というこの瞬間に集中すると、日々の生活の中で鈍っていく感覚を呼び覚まし、心と体が解き放っていくようでした。
 ときには歩みを緩めて、そこに漂う香りや匂いをゆっくり嗅いでみる時間があってもいいかもしれません。

風流のはじめ館

高橋 亜純

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