『鮮明な記憶』
理由はわからないが、私は中学校や小学校のときの事をほとんど覚えていない。
中学時代の部活の先生は微かに記憶に残っているが、小学校は担任の先生の名前も出てこないし、幼稚園に至っては、通っていた事自体が信じられないくらい記憶がない。
当時の写真を見ると、小さな身体に制服を着た自分がちゃんとポーズをとっていて、なんだか不思議な気持ちになる。
特別優等生だったわけではないが、特別やんちゃをしていたわけでもないはずなので、良い記憶もそうでない記憶も人並みにあっておかしくないのだが、ほとんど覚えていない。
そんな私にも、ひとつだけ鮮明に覚えている先生の言葉がある。
あれは小学4年生のときだ。
それぞれ自分の興味ある事を図書室で調べ、大きめの紙にまとめて、クラスの皆の前で発表するという授業だった。伝わりやすくなるよう、文字だけでなく、イラストも入れましょうというのが先生からの指示だ。
私は坂本龍馬に関する発表をすることにした。
歴史漫画や本を読み、我ながらしっかりとした内容のものが仕上がった。頑張ったし、いいものが完成したという自負があったので、堂々と発表することができた。
「イラストを雑に描いてるのが残念や」先生の言葉は全く想像していないものだった。
いやいや先生、その言葉は残酷過ぎはしないか。
確かに私は絵が下手だが、このときの龍馬は、せっかく上手にまとめた文章を無駄にしてはいけないという気持ちから、真剣に丁寧に心を込めて描いた。さらに残念なことに、自分ではちょっとピカソみたいで上手いと思っていた。
雑に描いたものを「雑なのが残念」と言われたのであれば、他の出来事同様、記憶から消え去っていただろう。しかし、このときのことは、画力だけでなく、センスから根こそぎ否定された出来事として、私の脳に刻まれた。
画力はそのときから少しも向上していない。今も人前で絵を描くことからは逃げまわって生きている。