「狸の視線を感じたら冬」
「寒いから冬、暑いから夏」私はそんな程度の解像度でしか季節を感じない。感覚神経のどこか大事な部分が欠損しているのではないかと自分で疑っている。(表向きは都会育ちのためとしている)
そんな私だが、月に一度、風流のはじめ館で開催されている小さな句会に参加している。それが本当に楽しい。
繰り返すが、私は「トマトはいつでもスーパーで買える野菜、カブトムシはデパートで売っている生き物」という感覚の人間だ。
四季を感じる瞬間を切り取り、季語を交えた十七音の言葉で表現するのが俳句。私にとって句会がどれほど新鮮か、想像してもらえるだろうか。
句会では毎月決められたテーマに沿った俳句を考えて事前に提出する。11月のテーマだった「狸」で私が詠んだ俳句を紹介したい。
狸から見られて進む田んぼ道
市街地から東に向かう和田道を、夜ひとりで車で走っているときのことを詠んだ。
なんてことない句だと思われるかもしれないが、数年前まで横浜の野毛山動物園の檻の中にいるタヌキしか見たことがなかった人間が詠んだということを考慮して欲しい。
自分以外の参加者の詠んだ句を読むのも楽しい。参加者の多くは、私からすると親に近い年代の先輩ばかりだ。
そんな先輩方の詠む俳句には、これまで出会ったことがない知らない言葉や植物食文化が出てきてとても面白い。
自分の頭の中で考えていること内側だけの世界なんて本当にちっぽけなものだと実感する。
気候変動のせいか春や秋が極端に短くなり、日本らしい四季がなくなってきているという話をよく聞く。
そんな今だからこそ、俳句を通して意識的に季節の変化に気を配るのもいいのではと思う。私が言うのもおこがましいが、冬と夏しかない生活はなんだか寂しい。
タヌキは俳句では冬の季語とされている。調べると、11月頃に目撃情報が多くなるそうだ。「狸の視線を感じたら冬の始まり」そんなふうに感じられると楽しい。