火曜コラム(紙面掲載 2025年7月8日)

沢田 隆志・はな夫妻


適切な一人称

 先日、テレビをぼんやり観ていたら、とある若い女性タレントが自分のことを「おいら」と呼んでいた。顔立ちは綺麗で今どき、服装も華やか。けれど口から出た「おいら」に、つい珈琲を飲む手が止まった。
「おいら」は、江戸っ子の大工とか、漫画に出てくる元気な少年が使うものという認識だ。令和の若い女性が口にすると、違和感を通り越してちょっと滑稽に見えた。
一人称は場面ごとに使い分けるものだ。フォーマルな場では「私」、親しい友人の前では「俺」、お客さんと話をするときは「僕」。つまり一人称とは、状況や相手との関係に応じて選ぶ「仮面」なのかもしれない。
あの不自然な「おいら」も、彼女なりに考えて選んだ仮面なのだろう。自分を他と差別化したい、「わたくし」では堅苦しいし、「わたし」は普通すぎる。あえての「おいら」。
意図は想像できるし、理解もできる。しかし、そういった戦略が透けて見え過ぎていた。そして、何よりの問題は、「仮面」が彼女と合っていないということだ。
自己ブランディングにおいて、一人称は最前線の武器だ。それが話し方や立ち振る舞いと調和していないと、どんな一人称も芝居がかって見えてしまう。
言葉には、話す人の体温やテンポといった「体」がついてくる。だからこそ、借りものの一人称はすぐにバレる。まるでサイズの合わない靴を履いているような、ちぐはぐさがにじみ出て、違和感となる。
夏目漱石が文学博士号授与の辞退を表明したときの言葉、「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております」が素晴らしい。このときの漱石に、「小生」の仮面はぴったりだ。
だが、「小生」は難易度が高い。いくら格好いいと思ってもうかつに使ってはいけない。
自分本位が過ぎて似合わない仮面を選んでしまうと、誰かの珈琲を冷めさせてしまう。そんなことをあの女性タレントが教えてくれた。

GALATA COFFEE

沢田 隆志・はな夫妻

GALATA COFFEE代表 ウルトラFMパーソナリティ

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